ごきげんよう!さわこです
「エフェソの手紙「2023年3期1~4課、安息日学校ガイド」
大人と子供合同クラスでに向けての原稿です。
小学3年生から80代のご婦人までの超異年齢集団です。
今週は第4課ですが、
まず、1課から3課までの大切なところをサラッと復習しておきたいと思います。
1課の暗誦聖句には「秘められた計画」と出てきますが、似たような言葉が、
福音書の中に、神様の秘められた計画を「神の国の秘密」とでてきます。
さて、秘密のお話を、別の言葉でいうと「ないしょばなし」になりますね。
わたしたちは、内緒の話を誰にしますか?
誰にでもしませんよね。人を選びますね。
信頼できる人、信用できる人、大好きな人。
ということは、天のお父様である神様が、私たちを愛してくださっている、信頼してくださっている、私たちのことを大好きなんだということが伝わってきます。
皆さんは、ないしょのはなしの歌を覚えていますか?
小さい時に、お母さんに歌ってもらった思い出や、我が子に歌った思い出はありませんか。
母から子へと歌い継がれてきた童謡を1番だけ歌ってみましょう。
♪ないしょ、ないしょ、ないしょのはなしは、あのねのね。にこにこにっこり、ね、
かあちゃん、お耳にこっそり、あのねのね、ぼうやのおねがい、きいてよね。
天のお父様である神様は、神の子たちに、とっても大事なことを、こっそり教えてくださるので、ヒミツ、「秘密の計画」なのです。
神さまの秘密の計画とは「ないしょのはなしは、あのねのね」なんですね。
● 神様が与えてくださった秘められた計画、あのねのね、とはなんでしょうね?
・ 知りたいと思いませんか?
・ 実はそのいくつかを皆さんはすでに知っているんですよ。
・ それは聖書に書かれているからです。
・ 聖書のあちこちに、ここにも少し、あそこにも少し、と書かれているんです。
エフェソ1章8節と9節10節にも書かれています。
子どもたちに読んでもらいますので、大人の皆さんは、新約聖書352頁の1章8節9節10節を開いて目で追ってください。
こうすけくん
① 神はこの恵みをわたしたちの上にあふれさせ、すべての知恵と理解とを与えて、秘められた計画を私たちに知らせてくださいました。
・・・秘密の計画は、神様からの知恵と理解力をいただいて、はじめて、知ることができるんですね。自分の力や能力では無理なんです。
神さまは、恵みによって私たちに知恵と理解を与えてくださるので、知ることができるんです。人間の知恵では理解は難しい。人間の能力ではわからない。
神様によらなければわからない。だから「秘められた計画」というんです。
「神様からのないしょのはなし、あのねのね」なんですね。
ちはるちゃん
②これは、前もって、キリストにおいてお決めになった神の御心によるものです。
・・・前もってキリストにおいて、と書かれてありますから、
人間が罪を犯す前から、人類の罪を赦すための計画がありました。
質問! それは何でしょうか?
キリストの贖いつまり十字架ということが明らかです。
そして、秘められた計画とは、神の御心であると書いてあります。
そうたくん
③こうして、時が満ちるに及んで、救いの業が完成され、あらゆるものが、頭であるキリストのもとに一つにまとめられます。
・・・時が満ちるに及んで救いの業が完成され、とあります。
質問! 救いの業とはなんでしょうか?
十字架ですね!イエス様の十字架によって人間の罪が許されたということ。
時が満ちるに及んでとは、どういう意味でしょうか?
イエス様がお生まれになることも、十字架にお架かりになることも、
その時がいつであるのかは、旧約聖書に預言されているということですね。
時が満ちるとは「神さまの時」が来た時、という意味でしょう。
さくねちゃん
④天にあるものも地にあるものもキリストのもとにひとつにまとめられるのです。
・・・質問! あらゆるものが一つにまとめられ、とはどういうことでしょうね?
頭であるキリストのもとにひとつにまとめられる。
天にあるものも地にあるものも、世界のすべてがキリストのもとに。
眼を閉じて想像してみてください。
トップにはイエス様がおられます。
イエスさまの下に、太陽も月も星々も宇宙のすべての被造物があるんです。
宇宙の星々の中に青く見える小さな星があってそれが地球と呼ばれていますよ。
すべてのものが、トップに居られるキリストを見上げていますよ。仰ぎ見ていますよ。
想像できましたか?頭の中に映像が浮かんできましたか?
一つにまとめられる、ということですから、
それまでは、ばらばらだった、
一つにまとまっていなかったということですね。
被造物である太陽を拝んでいたり、星や月を拝んで、星占いとかをしていたり。
真実以外の神様を、神であるかのように信じて、心はそれぞれの物質を神と崇めている。
心は、ばらばらですね。一つにまとまっていると言えるでしょうか?
私の頭の中に、聖書に書かれている情景が浮かんできました。
それは、イエスさまが捕らえられた時のことです。
弟子たちはバラバラになって逃げていてしまいました。
つまり、弟子たちは、一つにまとまっていなかった。
イエスさまが自十字架に掛けられた時、弟子たちも、
イエス様を慕っていた人々もがっかりしました。
失望しました。
しかし、イエスさまが復活なさったとき、弟子たちは、
人々は、びっくり仰天しました。
失望が喜びに変わりました。
そして、イエス様は、40日にわたって、
弟子たちに現れて、神の国について話されました。
イエス様が、今まで話してくださったことがようやくわかったんですね。
この地上で、復活なさったイエス様とまた一緒に暮らすことができるって思った人もいたのではないでしょうか?
ところが40日後に、イエス様は天にお帰りになったのです。
質問!
弟子たちは、また、イエス様を失ってしまうのでしょうか? いいえ!
イエスさまは、前からお話してくださっていましたね。
イエス様は天に上げられる時に、「助け主・聖霊を送る」
とお約束してくださいましたね。
イエス様が天に帰られた後、イエス様を信じる一人一人に、
イエス様の置き土産として「助け主である聖霊」が降って来られると
約束してくださいましたね。
聖霊なる神様とは、
私たちが聖書の神様を信じているという証印、
保証書のようなものなのだと、パウロ先生は書いています。
エフェソ1章13節で「約束された聖霊で証印を押された」
14節では「この聖霊は、わたしたちが御国を受け継ぐための保証であり、こうして、わたしたちは贖われて神のものとなり、神の栄光をたたえることになるのです」
使徒言行録1:8には、イエス様のお言葉があります。
「あなた方の上に聖霊が降ると、あなたがたは力を受ける」
イエスさまが、天にお帰りになってから、14節には弟子たちや婦人たちや、イエスの母マリア、イエスの兄弟たちは、エルサレムにある上の部屋で、心を合わせて熱心に祈っていたと書いてあります。15節には「120人ほどの人々が一つになっていた」
さくたろうくん
エフェソ1:10節をもう一度読んでもらいましょう。
⑤「こうして、時が満ちるに及んで、
救いの業が完成され、あらゆるものが、
頭であるキリストのもとに一つにまとめられます。
天にあるものも地にあるものも
キリストのもとにひとつにまとめられるのです。」
もうバラバラではないですね。心を合わせて熱心に祈っている。
120人ほどの人々が一つになっていた。
キリストにあって一つにまとまるとこうなっていくのですね。
★十字架のイエス様、そして、復活のイエスさまによって、一つにまとまっている。
キリストにおいて一つにまとめられるということも広大な神様の計画なのです。
神さまの秘密の計画あのねのね、なんですね。
ばらばらの状態とは、どういう状態かというと、
エフェソ2:12「またその頃は、キリストとかかわりなく、イスラエルの民に属さず、約束を含む契約と関係なく、この世で希望を持たず、神を知らずに生きていました」
13節「しかし、あなたがたは、以前は遠く離れていたが、今や、キリスト・イエスにおいて、キリストの血によって近いものになったのです」
つまり、キリストとかかわりなく、この世で希望を持たず、神を知らずに生きていた、ということなのですね。
それがばらばらの状態です。
一つになることができました。エフェソ2章の
14節「実に、キリストは私たちの平和であります。二つのものを一つにし、ご自分の肉において敵意という隔ての壁を取り壊し」
16節「十字架を通して、両者を一つの体として神と和解させ、十字架によって敵意を滅ぼされました」
18節「このキリストによって私たち両方のものが、一つの霊に結ばれて、御父に近づくことができるのです」
人間の自分中心の罪なる性質を造り変える力が、神様ご自身の自己犠牲の愛なのですね。
ばらばらとは、キリストとかかわりなく、この世で希望を持たず、神を知らずに生きていた、ということなのですね。
パウロはそのことを、「生まれながらの怒りの子が、神の子になる」と表現しています。
生まれながらに神の怒りを受けるべき者が、キリストによって、神の子とされるという良き知らせも、秘められた神の計画・神の国の秘密と言えるのです。
●1章の11節では、パウロはエフェソの信徒たちのことを「約束された者の相続者とされた」と書いてありますが、
質問! どういう意味だと思いますか?
・・・キリストが十字架で死なれたから、わたしたちは神からの相続権を受取れたということになりますね。
遺産相続のようなものですね。
・・・旧約聖書では「神の民」とか「嗣業」という言葉が使われていますが、相続者とされることもすでに約束されていた。
決められていた、ということなのですね。
・・・だれが、神様の遺産を相続できるのか、ご聖霊の神様に導かれて、イエス様を自分の神様・救い主キリストと
受け入れる人が、神の子と認められて遺産相続できるのですね。
★まとめますと、「神の国の秘密」「秘められた神の計画」とは、
①聖書にしるされた神様による人類救済計画を表しているのですね。
②創造とあがないの神様とは、父・御子・聖霊の三位一体の神様です。
③イエス様を救い主と信じることで、新生して、品性が変えられて、生まれながらの怒りの子が神の子になる。
④ ユダヤ人と異邦人は、敵対していましたが、ひとつとなった。
以上を今回のガイドから学ぶことができたように思います。
⑤ さらに付け加えるならば、永遠の福音である三天使のメッセージもそうです。
⑥ そして、大きなテーマでいうならば、イエス・キリスト自身が「神の国の秘密」です。
⑦番目の神の国の秘密をお伝えします。
エフェソの2章には、イエス様を知る前のエフェソの人々の状態が、つまり、ばらばらの状態の人がどういうふうな生活をしているかが書かれています。
イエス様を知るまでは、
この世を支配するもの、
空中に勢力を持つもの、
神に従わないで神に反抗する者たちのうちに働く、
サタンの霊に従って、
欲望の赴くままに、
自分のしたいようにしたいことをして、
自分勝手な、自己中心の生き方をしている人であったと
書いてあります。
それで、神様のお怒りを受けて当然な人間だったわけです。
その結果として、自分の過ちと罪のために、この世で生きながら、
神様の目には、死んだも同然の状態で、悲惨で、絶望的な状態であった。
だから、パウロは、『あなた方は死んでいたのです』と、強烈な言葉で書いているのです。
しかし、イエス様はこうおっしゃっています。
ヨハネによる福音書5章の25節です。
「はっきり言っておく死んだものが神の子の声を聞く時が来る。
今やその時である。その声を聞いたものは生きる。」
★ イエスさまを知り受け入れるまでは、
自分は、実は、死んだものであったのですよ。
でも、私たちは、イエス様にあって
初めて生きる者へと変えられているのです。
ここ大事。これを忘れちゃいけない。
これが⑦番目の秘密。
人間の性質がキリストに似たものと変えられる。これも神の国の秘密なのです。
こういうことを、パウロは「古い人生き方を捨て、新しい人生き方をする」
「古い人を脱ぎ捨て、新しい人を着る」とエフェソ4章で書いています。
キリストを着た人は、神の霊である聖霊に支配されたくなります。
古い人のままでいると、サタンの霊である悪霊に支配されやすくなります。
聖書には「霊」と出てきますが、「霊」には「聖霊」ではない「霊」があります。
「悪霊・サタンの霊」です。
天で天使の長ルシファーが神様に造反したとき、三分の一の天使を、
サタンは自分の味方につけて配下の悪天使としました。
その悪天使たちが「悪霊」となって、この地球をうろついているんです。
サタンの霊とは、具体的にいうならばこの世を支配するもの、空中に勢力を持つもの
とパウロは書いてあります。
この地上を支配しているんです。
つまりアダムとエバを騙して誘惑をして、食べてはいけない実を食べさせるように仕向けたのがサタンです。
その時以来この地球をサタンが乗っ取りはじめたんです。
サタンの乗っ取り計画が着々と進んでいるんです。
この世を支配するもの、空中に勢力を持つものがサタンとサタンの配下にある悪天使悪霊なんです。
質問!サタンに目をつけられやすい人はどんな人でしょうか?
パウロは、こう書いていますよ。
「神に従わないで神に反抗する者たちのうちに働くのがサタンの霊」なのだと。
サタンの霊に惑わされている人のことを、エフェソ2章1節には「過ちと罪のために死んでいる」と、パウロは書いています。
つまり、神様に反抗して、神様から離れて、自分の好きなように、したいように、自分勝手に、自己中心で生きることを選んでいる人たちのことを、パウロは「生きていながら死んでいる」というのですね。
そういう人を「罪びと」と言います。
神様から離れた的外れの生き方をすることを「罪」と言うからです。
この罪の中で、生きている人々は死んでしまうのです。
その死とは「第2の死」。
「永遠の命」の対極にあります。
完全に滅んでしまうのが「第2の死」です。
第2の死を受ける人は、神様を嫌っています。
神様のお嫌いになることばかりするのが好きな人です。
そういう人は、神の国に行っても楽しくないでしょうね。
神様は、私たちに、死んではいけないからと、「規則や決まり事」を与えてくださいました。
それが「十戒」ですね。
罪となる境界線を越してしまうことにならないために与えてくださった防波堤のようなものですね。
規則や決まり事に違反することを「罪・過ち・咎」と呼びます。
罪・過ち・咎をまとめてひっくるめて「罪」と呼んでもいいと思います。
神さまから、目を離してしまうなら、小さな間違や失敗は繰り返されてしまいます。
弓矢もダーツも、神様の的から外れて飛んでしまいます。
だから、罪のもともとの意味は的外れ、となるのですね。
「的外れ」に生きる人は、こいつは俺の配下になるにふさわしい。
俺様の子分にしてやろう。こうしてサタンに目をつけられます。
こうして、罪を犯してしまうのです。
罪の世を支配する者とは、誰でしょうか?サタンです。
空中に勢力を持つ者とは、誰でしょうか?サタンです。
天国から追放されたサタンは、この空中の天にいるのです。
神さまの御座がある天を天国と言いますが、
神様に反抗して天国を追い出されたサタンは空中でうろついているのです。
質問です!
サタンの側について生きている人を神様は見放すでしょうか?
見捨てるでしょうか?
いいえ、
神様は罪の中に死んでいた私たちに
「死んではいけない。生きよ。神様に立ち帰って生きよ」と言ってくださいます。
このお言葉は神様からの恵みの言葉です。
そして、神さまのお言葉を受け入れる者には、永遠の命をお与えくださいます
そしてそれだけではありません
イエス様は神の右の座についておられますが、
私たちも天の場所に座らせてくださいます。
これはものすごいことです
私たちは今この地上にいるのですけれども、
イエス様を信じてイエス様についていきたいと願う人は、
すでに天に属するものとされているのです。
イエス様のご再臨の時、私たちは「天に属されている自分」を体験することになります。
先に眠りについた者は、イエス様のように肉体を持って復活し、天に上げられます。
生きている者は、栄化されて天に上げられます。
そして天の住民となってイエス様と共に生活をするのです。
これは永遠の祝福です。
パウロはこのことを行ってくださるのはただただ恵みによるのですと言います。