ごきげんよう!さわこです
「福音に生きる」ジョージ・ナイト著134-135ページより
(2021年6月22日のメモより)
罪のない状態と
絶対的に罪のない状態とは、
完全と究極的完全についての
パウロの概念のうちにも見ることができます。
フィリピの手紙の中で、
彼は彼自身とあるフィリピの信徒たちが
すでに完全(3:15)であると
述べていますが、同じ場所で、
彼は完全な者となっているわけではない(3:12)
とも言っています。
「すでに完全な」状態とは、
フィリピの信徒たちが、
キリストに心と思いを捧げていることを言っており、
「まだ完全にはなっていない」状態とは、
パウロと教会全体とが、
完全に向けての発達と成長の
途中にあることを言っているのです。
すなわち、
パウロはキリストに対する姿勢において
成熟していると言う意味では、
すでに完全でありながらも、
より完全な成熟への途上にあるのでした。
というわけで、完全であるとは、
献身したクリスチャンたちが
キリスト者として、生涯において
進歩を続けている力動的状態なのです。
マラナ・タ
完全について重要な見解を再度、確認。
停止状態での、できあがった状態での「完全」ではなく、
地上人生においては、完璧な完全に向けて
発展途上の状態を言っているのです。