ごきげんよう!さわこです

 

 

私たちの世界は、今、岐路に立たされています。

これは運命の時です。

私たち一人ひとりは、毎日、決定的な決断をしています。

品性は即座に形成されるものではありません。

品性は生涯にわたる日々の決断によってもたらされる結実です。

 

(2023年2期安息日聖書研究ガイド副読本14頁)

 

 

 

では、今、世の終わりの時を迎えたならば、

今までの決断による結果としての自分の品性では

確実に滅びるしかないのでしょうか?

 

そんなことを言われたら、絶望感しかない。

投げやりになるしかない。

そんな時、

もし、以下のように言われたとしたら、あなたはどう思う?

・・・

 

 

ありのままのあなたでいいの。

人間には滅びなんてないのよ。

人間は死んだら、もとの土のチリになって、

人間の目には見えない細かい分子になって宇宙に漂うの。

宇宙は神そのものだから、神の御手の中で、宇宙に溶け込むのよ。

人の品性とか、どう生きたかなんて関係ない。

永遠に宇宙という神の御手の中で漂い続けるのよ。

これこそ、永遠のロマン。永遠の平安よ。

・・・

 

 

かつて、このような言葉を残して、

聖書研究の途中で、

教会から去って行ったら女性がいました。

 

知性の高い、人としても魅力的な、誠実な、

礼節をわきまえた信頼できる方でした。

人の目に映る品性は申し分ない方でした。

 

確かにロマンある思考ですが、

この思想の根拠は何でしょうか?

 

信頼に足る知性を兼ね備えた人の心を捉えた思想の土台は何でしょうか?

 

キリスト様に出会う以前の私なら、違和感なく賛同したかもしれない。

しかし、今は、光の天使を装う存在の詭弁にしか思えない。

 

 
その結果は、いくら聖書を学んでもその人の言うことを聖書研究からは見出せませんでした。

 

聖書は、哲学書でも思想書でもなく、キリスト・イエスを証ししていました。

 

 

その人と一緒に聖書研究を続けたかった。

その人と内面的にもキリスト・イエスにあって繋がりたかった。

 

その人は、キリスト・イエスに心底から出会う前に離れて行きました。

 

 

もしかしたら、そんな良い人が、私たちの周りには多くいるのかもしれません。

いいえ、確かにいます。

 

キリストを知らなくても、知った人であるように生きている心の持ち主は多くいます。

 

この世の人々の目から見たなら、私はよりもその人の方が高い品性の持ち主として映るでしょうか。

 

キリスト教を標榜しながら、キリストには程遠い行いを積み上げて来た世界歴史は、多くの人をキリスト教に見切りをつけさせました。

 

ジョン・レノンが、日本神道に関心を寄せるようになったのも、そうかもしれないと思いました。

(私はビートルズ世代です)

 

キリスト教社会に生まれ育ちながら、真のキリストには出会えないままに、キリスト以外の真実を求める人々がいます。

 

 

私のようにキリスト教嫌いを公言しながら、30代を過ぎて聖書研究をするように導かれて、キリストへの誤解が解けて、キリストから離れられなくなっている人もいます。

 

 

私の頑固な意志をねじ曲げて聖書研究をしてみようという思いを起こさせた聖霊の神様がいました。

 

もしかしたら、私には三位一体の中でも聖霊の神様が一番身近なお方であったかもしれません。

 

ヨハネによる福音書に14章15章には、主イエスの語られた聖霊の働きが明確に記されています。

 

15章13節

しかし、その方、すなわち真理の御霊が来ると、あなたがたをすべての真理に導いてくださいます・・・

14節

御霊はわたし(イエス)の栄光を現されます。わたし(イエス)のものを受けて、あなたがたに伝えてくださるのです。

 

この聖句に出会った時に氷解しました。

なるほど!

そういうことでしたか!

神様、あなたが私を導いてくださったのは、三位一体の神様の総合的な連携プレーだったのですね。

 

 

日本人的アイデンティティのかたまりのような私は無神論者ではありませんでした。

天地創造なさった神の存在を疑うことなく30代まで生きて来ました。

 

神棚仏壇のあることを当たり前とした家庭で育ち、中学時代には、ビートルズよりも広隆寺の弥勒菩薩半跏思惟像に夢中になっておりました。

 

神社仏閣巡りの好きな今で言う歴女のはしりのような青春期を過ごしました。

 

 

だから、いつも言って来ました。

日本人ほど、聖書の分かる民族はいないのですと。

 

私は日本人のアイデンティティで育ち、キリスト教嫌いであったから、聖書に書いていないことを標榜するキリスト教の欺瞞にも反発できたんだと。

 

世界史の教科書から、誰に教えられることもなく、キリスト教主義国家は異常だと見てとった思春期の私。

自覚ないままに、聖霊様の導きに反応していたのかもしれません。

 

 

 
マラナ・タ
決して強制をなさらない神の愛です。
しかし、それぞれの人々の性質をご存知の故に説得なさる神様です。