ごきげんよう!さわこです。
数日前のできごとです。
盛りだくさんなので、混乱しそうになるから、番号を振りました。
友との会話を時系列で。
1,信仰の友の疑問
ある方が、何十年とクリスチャンでありながら、
心の底に秘めていた疑問を打ち明けてくれました。
「神が従わない者や異民族を滅ぼす」というフレーズが頭の中から離れないのだと。
「神は愛である」という聖句だって知っている。
慰めの言葉だって美しい言葉だってあるけれども、
「滅ぼす」ことが心に引っかかって、
聖書を開くことはほとんどなかったのだと。
信仰年数は、多分40年になるわ。
定年退職するまで、礼拝よりも仕事優先。
そのことについても、後ろめたさなどもなかった。
生活のためだものしかたないやん、と堂々と思っていた。
でも、しっかり聖書を読んでいる人を見たら、「なんでそんなことができるんだろう?」って異星人を見てるみたいだった。
それが、次第に妬ましく思うようになってきたの。
つまり、さわこさんに妬みを感じるようになってきたわけ(笑)
2,さわこの心の動き
異星人から、地球人へ。
神様の愛は「妬むほどに深い愛」
だから、さわこへの友情がランクアップしたってこと。
だよね? うれしい。
3,友のチャレンジと質問
それで、私も聖書を読むことを決心して、今、二回目の通読中よ。
でもね。機械的に読んでいるだけみたいになってきたのよ。
こういう通読を続けるっていみあるの?
って思うようにもなって来た。
そこで、今日は、思い切ってあなたに質問することにしたの。
自分の言う通りに従わなかったからって滅ぼす神様をどう思う?
旧約聖書のあちこちに出てくるじゃないの。
なかなか、その疑問を打ち明ける機会もないまま、ウン十年(笑)
それで、今日こそ、私の妬みの対象者となったさわこちゃんに質問しようとしているわけ。
4,さわこの心の中
質問してくれたってことは、友情の新しい扉が開かれたということ。
着実に深い良い関係になって行っている。
だよね? うれしい。
5,さわこの格闘記
あ、それね。
その疑問には、私も長年格闘して来たよ。
それを言ったらね、
「ゆだねたら良い。分からなくてもゆだねるのが信仰だから」と。
それで納得する人もいるようだけど、さわこは素直じゃなかった。
すると、今度は
「幼子のように素直になりなさいってイエス様は仰っていますよ」と。
「子どもは母親や父親に全幅の信頼を置くでしょ。それと同じ。神様は私たちを創造されたお方だから」とだめ押しされた。(笑)
ああ、教会員になったら、こういう質問は禁句かもしれない・・・?
これをテーマに語りあうことも不信仰って見なされるんだろうか・・・?
信仰を持っていない人なら許される質問なのだろうか・・・?
そう感じてしまうことそのものが「罪の性質」だと指摘されたら、またストップしちゃう。
つまり、「ゆだねる」っていう言葉の美しさの前に「思考停止」するみたいなのが、「信仰」?
聞いた相手が「信仰の達人」だったのかもしれないね。
私みたいな「信仰的未成熟人」に聞いたのだったら違う助言をもらえたかもしれない。そいう人が見つけられなかった。
みなさん、立派な信者に見えたのだもの。
6、思いもよらない答え
そういう時に、「考えることも祈りです」という信仰者の言葉に出会ったの。
やっと承認されたと思った。後ろめたさが吹っ飛んだ。(笑)励まされた。
「考えるよりゆだねなさい」と言うアドバイスよりも、
「考えることも祈りです」が私には有益だったよ。
7,考えるキーワードは何?
どこに向かって、誰に向かって考える?
どうやって考える?
神様に向かって。
聖書の著者である神様に向かって、
聖書を用いて、質問するしかないよね。
質問そのものが祈りになるよね。
7,考えることが祈りに変えられる方法
「今の私の信仰では理解できません。聖書の言葉から納得できるように助けてください」と、私は祈ることにしました。
この祈りから始めようよ。
聖書から出てくる疑問の箇所に付箋を貼る。
神の愛を疑った箇所はレッドカードの赤。
神の愛に感動した箇所は青。
神様の仰せが意味不明な箇所は黄色。
最低3つの項目を造ってノートに書く。
それぞれの聖句箇所を記録する。
長い所は○○の〇章〇節~〇節でよい。
インパクトの強い箇所は書きだす。
神様教えてください!
という思いで行うこの作業自体が祈りとも言えるんじゃないのか?
と、友に提案しました。
マラナ・タ
私が神様から教えてもらった(と、勝手に思っている)方法。