ごきげんよう!さわこです。

クリスチャンのみなさん質問です

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「聖書も聖書の神も知らない人から、たまたまその時代に生まれただけで殺されたアッシリアの兵士たちの死は理不尽だと言われるとしたら、あなたはどう答えますか?主のこの行為をもあなたはどのように答えますか。」

 

聖書も聖書の神も知っている(特に洗礼を受けて日の浅いような)人も持つ疑問です。

私もその一人でした。

しかし、だからと言ってキリスト信仰を捨てようとは思いませんでした。

 

とりあえず、頭の中の「わからないので保留用引き出し」に入れて、その手掛かりを聖書から示してください、との祈りの最重要課題引き出しに入れました。

 

すると、アンテナが張り巡らされます。

しかし、あまりに大きく深いテーマでありますから、単に祈るだけでは、なかなか分かりません。

 

 

いつまでたってもわからない方法を書きます。

思いつくままにざっと挙げてみました。

1、祈らない

2、聖書を読まない

3、安息日を覚えず聖としない

4、教会生活に関わらない

5、聖書以外のものに答えを求める。思想書・哲学書・道徳書・スピリチュアルなどなど。

 

つまり、分からないと言いながら、分かるためのヒント満載の環境に自分を置かないことです。

 

目に見えない神様の御品性・御人格からの影響を自らの霊が受けて行くチャンスを逃してしまうことになるのではないでしょうか?

 

つまり、「わからない」と言うが「神様が示してくださる方法」を無視する。

「求める」ことができていないのではないかしら。

 

人によっては、すぐに分かる方もいらっしゃる。

わかったつもりになってしまう方もいらっしゃる。

 

私は、時間がかかりました。

「分かるためには、何をどうすれば良いですか?

教えてください。実行しますから。」

と祈りました。

 

分かるための試練が、次々と続々と降ってまいりました。

人間的目線では不公平に見える部分)さえある神様に、父なる神様に、聖霊様に導きを求めて、キリスト様の御名前によって、祈り泣きつき、聖書の御言葉に執着するしかない状態に追い込まれました。

 

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・・・さて、結論。

質問への答えです。

「一羽のすずめさえ主は守りたまいます」

「迷い出た一匹の羊さえ探したまいます」

 

と、神様がどういう御品性・御人格のお方かを、短い喩え話から理解できるように主が導いてくださるようになってきました。