ごきげんよう!さわこです。

経済学者藤井聡先生の『日本滅亡論』を読んで。  

2022年12月19日 記

 

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82ページの薄い本で、経済学音痴の私にもわかりやすい本でした。

何故なら、年の数だけの時代を生きて、時代の流れや、思想界の変遷を見てきたし経済面のしんどさも体験して来ました。

 

マルクス、アダム・スミス、ケインズ、ニューデール政策などなど、社会の教科書で、記憶に残っている名前の数々。そうか、そういう事だったのか・・・。

中学生だったのか、高校生だったのか・・・

義務教育、学校教育は、社会常識のシンプルな知識を与えてくれるから、いいね。

あ、この名前は知っている!

というだけで、難しくなくなってしまうような不思議なスイッチが入りますものね。

 

藤井聡先生は、ネットでお馴染みでした。

500円の送料だけで手に入れました。

 

経済学部卒でもでも社会学部卒でもない私ですが、

政治と経済は生活そのものと直結していることは体験しています。

 

生活そのものに直結するので、食、教育、それぞれの内面性(思想、アイデンティティと言った領域)に影響も及ぼすんですね。

 

裏表紙はこれ

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政界・経済界・芸術界・宗教界のリーダーたちの役割。

そこに、神のいましたもう正しい場所がないと、

旧約聖書士師記に繰り返し書かれているように

「その頃、人々は主の目に悪とされることを行っていた。自分の目に良いと思うことを行っていた」に繋がってしまうんですね。

 

この本にも書いていましたが、

ものごとを俯瞰的に見ていたら、

政府やマスメディアや経済学のリーダーたちの言うこと、なす事、が

それなりに識別できるようになると思うんです。

「俯瞰視すること」の大切さ。

 

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私が聖書通読に夢中になって、

それを勧め続けて来たのは、

通読の繰り返しで聖書全体を俯瞰して

読むことができるようになって来るという

素晴らしさを体験したからです。

 

聖書通読は、

主観読みから客観読みへと手引きしてくれます。

 

自分の感情に主軸を置いた読み方は、

いつまでたっても主観読みです。

主観読みも、すごく大事ですが、

ユダヤ暦の祭儀にポイントを置いて読むことで、

キリスト様がくっきり見えて来ました。

それが客観読みの醍醐味。

 

聖書の祭儀にポイントを置くと、

聖所の学びに行き着くんですよ。

 

聖所に辿り着くと客観読みと主観読みが合流する。

 

律法=ユダヤの祭=キリスト=福音=神の愛=神の救済

 

アドベンチストの大争闘神学は、

神さまの本質を理解させてくれますね。

そして、ダニエル書・黙示録

書かれていることにつながるんですね。

 

経済学的に見た世界の現象。

日本の窮地。

他国との関係性抜きには生きられないのですね。

 

この本を読み終えた時に、

旧約聖書 士師記の18章、

ダン族に瞬く間に攻め取られてしまったライシュの人々を思いました。

7節にこう書かれています。

 

「5人は更に進んでライシュに着き、その地の民がシドン人のように静かに、また、穏やかに安らかな日々を送っているのを見た。その地にはひとをさげすんで権力を握る者は全くなく、シドンからも遠く離れ、またどの人間とも交渉がなかった。」

 

キリストを救い主なる神と崇めていたキリスト教国家の悪事の数々。

キリストの本質に繋がらないキリスト教は、

異教や偶像礼拝や多神教とクリスチャンが軽蔑する以上の悪を世界に広げてきたのです。

 

聖書を読んでも、伝えても、

ピントの外れた読み方をして、世界をリードしていくのならば、

ノンクリスチャンの方が、知らずに真実の御心に適う生き方をしているという場合だってあるんですね。

 

信仰と行いが一致しないと裁きの時には神様から「あなたを知らない」と言われてしまう。

ペテロが書いているように、

先ずクリスチャンからの調査審判がはじまるんですね。

 

ペテロの手紙第一4:17

「今こそ、神の家から裁きが始まる時です。私たちがまず、裁きを受けるのだとすれば、神の福音に従わない者たちの行く末は、いったい、どんなものになるだろうか。」

 

個人的な祈り・家族のための祈り・信仰の家族のための祈り・キリスト教に属するリーダーたちの祈り・苦難にあるたち・迫害されている人たちだけでなく、世界の為政者や学者たちのために祈るようにも召し出されていることを自覚させられました。

 

マラナ・タ

ネブカデネザル大王も回心しましたものね。

ヨナの宣教によってニネベの王様から家畜に至るまで回心しましたものね。

恵みの扉が閉じるまでに、祈り続けて、終末期にある今、聖書を正しく理解し、いつでも世の人の質問に答えられるように準備しておこう、と思いました。