ごきげんよう!さわこです。
朝の祈りが夕べには聞かれました。
御心に適う祈りは、速やかです!
神さま、ありがとうございました!
見つかった失せものは、これ。
自由意志の存在を示す例としてのミー・イッテン
ヘブライ語のミー・イッテンが表わしている神さまのみこころとは、
字義通りならば、弱さと限界を持った人間が用いる「○○だったら、良かったのに・・・」という慣用句であり、「誰が与えるのか」という意味。
しかし、神さまの願いに、「ミー・イッテン」を用いるときの意味は、人間が使うのとは異なっている。
①「私たちの意志で神様を選んで生きると」を神様が切に願っておられることを表している。
②「お前たちが犯したあらゆる背きを投げ捨てて、新しい心と新しい霊を造り出せ。イスラエルの家よ、どうしてお前たちは死んでよいのだろうか。わたしは誰の死をも喜ばない。お前たちは立ち帰って生きよ」と主なる神は言われる。(エゼキエル18:31,32)
つまり①と②を包括すると、「神様の御意志に相応しく、我が意志を働かせるならば、その結果が神に立ち帰る」ということになるのです。
このミー・イッテンは、神でさえ、人間の自由意志を踏みにじることができないことを示しています。
最終的に、選択は私たちのもの、私たちだけのものであり、それは日々、一瞬一瞬の選択を意味するのです。
私たちが意志を働かせて、神を選んで生きれば、永遠の命につながり、神を否定して生きるならば永遠の滅びとなる。
だから、「翻って神に立ち帰って生きよ、滅んではならない、我が子たちよ」という神さまの悲願の表現が、ミー・イッテンなんですね。
マラナ・タ
朝の祈りが夕にきかれました❗️