ごきげんよう!さわこです。
霊に満たされることの
あらわれの一つが
互いに仕えあうことなのです。
これは私たちが
人々に対して持つべき
謙虚さと思慮深さという
適切な態度を指しています。
神の恵みは初めに必要であり、
成長の段階で必要であり、
そして神の恵みだけが
働きを完結させることができる。
成長するためには、
常に神の力と繋がっている必要がある。
私たちはある程度、
聖霊を受けているかもしれないが、
それでも、祈りと信仰によって
絶えず聖霊を求めなければならない。
もう努力しなくてもいいということは決してない。
種の生長と生育は農夫にかかっているのではない。
神だけが穀物を生育させることがおできになる。
しかし、人間の協力が必要である。
私たちのための神の働きは、
私たちに心と信仰を働かせることを要求する。
私たちは、祝福の経路に身を置くための
あらゆる機会を活用すべきである。
聖霊の聖なる影響力は、
キリストに従う者たちと
終わりまで共にある。
人は、知識、才能、
雄弁、先天的・後天的資質を
身につけることができても、
聖霊の臨在がなければ、
心を感動させ、罪人を
キリストに導くことはできない。
キリストの弟子たちが、
キリストと結ばれており、
聖霊の賜物を受けているなら、
どんなに貧しく無知な者であっても、
人の心を動かす力を持つ。
神は彼らを、
神の影響力が働く
通路としてくださるのです。
神の恵みとは、聖霊の力です。
この力だけが救いに導く知恵を与え、
天国に入るのにふさわしい者とすることができます。
私たちの持つあらゆる技能、知恵、能力は
神が与えてくださるものの一部である。
私たちの持ち物は、すべて神の賜物である。
自分の能力と財産が
主のものであるという事実を見失うとき、
人は主の財産を横領していることになる。
マラナ・タ
(エレンGホワイトの言葉で祈る)
神ご自身が、神の計画を
実行しておられるのでありますから、
神のしもべのなし得ることは、
信仰をもって祈り続けて、
決定的行動をして起こす時が
来るのをじっと待つのです。
主よ、この小さき者に、
忍耐と識別力と悟る心を与えてください。