ごきげんよう!さわこです。
ヨハネ5:39
「あなたたちは聖書の中に永遠の命があると考えて、聖書を研究している。ところが、聖書はわたしについて証しをするものだ」
聖書によってイエス様に出会い、イエス様の御臨在にふれ、聖書によって祈りを与えられ教えられることで、あらゆる人生の嵐に対応できる『イエスさまの証』に焦点を合わせたいと思います。
マタイ16書の1節から3節まで読むと分かりますが、イエスを試そうとして、天からのしるしを見せてほしいと願ったファリサイ派とサドカイ派の人々に対してのイエスさまのお言葉が4節にあります。
マタイ16:4
「よこしまで神に背いた時代の者たちはしるしを欲しがるが、ヨナのしるしのほかには、しるしは与えられない」
私は、ファリサイ派やサドカイ派とは違うと、言い張れるのでしょうか?
その精神は、私の中にひとかけらもないと胸を張れるでしょうか。
ひたすらイエス様から目を離さないために私は、聖書の中にいらっしゃるイエス様を御言葉で認識し続けるのです。
机の前だけではなく、日ごとに変わる空の色を眺めながら、深呼吸しながら、御言葉を味わう。
イエス様の御手に確かに届いているという確信をもって、私の嘆きを天の至聖所のイエス様に向かって投げる。ゆだねるのです。
マラナ・タ
主イエスよ、来たりませ。