ごきげんよう!さわこです

 

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明治になって切支丹禁令の高札が取り下げられて、キリスト教の教えを自由に伝えることができるようになりました。

そして、「封建主義国家」だった日本に聖書の教えから発した「民主主義」が入ってきたのです。

明治時代の「自由民権運動」大正時代の「大正デモクラシー」。

その後、日本は軍国主義国家となり、太平洋戦争に負けて、アメリカが民主主義を日本に導入してくれたので、日本は、ようやく民主主義国家となったのです。

 

・・・これは、私が受けた学校教育やキリスト教の読み物から理解してきたことを簡単にまとめたものです。勿論、それを私が信じているのではありません。

しかし、かつては、15年ほど前までは、それをそのまま信じていました。

 

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しかし、遥かにさかのぼって、中学高校生時代には、私は世界史の教科書からキリスト教国家の悪事を読みとったので、キリスト教会に対するロマンは消えていました。

 

今の若い人の言葉をまねたなら、私はクラスメートに「キリスト教ってやばくない?酷い宗教だよね。私は、とてもキリスト教を信じるなんてできないよ」と言っていました。

 

クラスメートたちは「何で?」

「だって、中世の暗黒時代・大航海時代・植民地主義政策・全部最悪じゃん」と私。

 

「そこまで発想が飛ぶのが分からない、キリスト教会ってロマンチックじゃない。キリシタンの悲劇って、泣いちゃうじゃない。結婚式は教会でウエディングドレスを着てバージンロードを歩くのよ」

会話がかみ合いませんでした。

結局「さわこちゃんって、変わりものね」とラベルを張られたのでした。

 

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その後、歳月は流れて、キリスト教嫌いのティーンエージャーは、30代に突入しました。

1989年の春「預言の声・聖書通信講座」を学ぶ機会を得て、キリスト教国家の最大の被害者は侵略された世界の国々とともに「イエス・キリストさま」であると、認識できました。

 

聖書を学び始めると「聖霊の神様」の働きが強くなるのですね。

通信講座から1年半後には、私はバプテスマを受けていました。

 

世界史が大好きだった私は、「ダニエル書の2章」で、世界の覇権国家の歴史を神様が預言なさっていたことを知って驚愕しました。

世界史を知っている者は、聖書がさらに面白く学べます。

キリスト教嫌いの発端となった世界史の知識が役に立ちました。

 

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さて、このような記事を見つけたので、紹介します。

 

<From:国際政治学者・藤井厳喜>

 

本日は「民主主義とは何か?」

という内容をお届けしたいと思います。

 

この結論としてどういうことが言えるかというと、

「民主主義」というものはないということです。

 

 

■「民主主義」なんて存在しない?

 

実は「民主主義」という主義はありません。

 

英語のdemocracy(デモクラシー)を

正しく訳すなら、

本来、「民主国家」と訳すべきなのです。

 

これは

「民衆が支配している国」ということ。

 

民衆が支配しているということは、

いつも正しい方向に行くとは

限らないですよね。

 

常に上手くいくという保障はありません。

 

ですが「民主主義」という言葉になると、

過剰なプラスアルファの価値観がついてしまって、

 

「民主主義がうまくいかない」なんて言ったら、

それだけでマスコミや学会で叩かれて、

ファシズムだ何だと怒られてしまいます。

 

しかし民主支配と言ったら、

民衆は気まぐれですよね。

 

民衆が賢ければ上手くいきそうですが、

愚かになれば失敗することも多いでしょう。

 

 

■実は誤訳だった?デモクラシーの本当の意味

 

democracy(デモクラシー)の他に、

 

独裁国家:autocracy

貴族支配:aristocracy

官僚支配:bureaucracy

 

など、これらの言葉にもすべて、

cracy(クラシー)という言葉が終わりにつきます。

 

これらは全て、

「国がどのように統治されているか」を

表した言葉になります。

 

 

一方で、

 

保守主義:conservatism

伝統主義:traditionalism

 

ism(イズム)とつくものは、

みんな思想になります。

 

ですから、democratism(デモクラティズム)

という言葉があれば

「民主主義」で問題ないのですが、

このような言葉は西洋語にありません。

 

デモクラシーは、

国家の分類の一つにすぎず、

ここに主義・主張というのは

含まれていないのです。

 

 

■本当は危ういデモクラシー

 

さて、「衆愚政治」という言葉があります。

 

デモクラシーは単に

分類上の問題にすぎないので、

民衆支配が必ずしも上手くいくとは限りません。

 

民衆自身が選挙によって

代表を選んでいるわけですから、

 

民衆が愚かになればたちまち

それは「衆愚政治」となり、

国を滅ぼす危険性もあるのです。

 

正しい意味がわかれば、

 

「民主主義」という言葉が持つプラスの価値観、

一種の神秘的なカリスマ性というものは

実際にはないことがわかり、

 

むしろ危うい一面も見えてくるのでは

ないでしょうか。

 

だからこそ、民主国家においては、

「国民のレベルを上げることで

 政治のレベルを上げる」ことが大事なのです。

 

(情報リテラシー大全「政治学」編より引用)

 

 

いかがでしたか?

今の日本も「衆愚政治」になっている面もありますよね。

参議院選挙も近いです。

せっかく手にした「選挙権」賢くもちいなければ「亡国」につながります。

目先の甘い言葉に惑わされて、その結果「日本国家」がなくなったなら、「福祉」も「自由」も消えてしまうんです。

「植民地」の魔の手を何とか潜り抜けてきました。

でも、『別の形』での植民地国家になっているかもしれません。

 

マラナ・タ

私たちの心が、キリストにある神様のもとに属しているなら安心ですが、いったん離れてしまうと、サタン王国の植民地になってしまうんですよ。