ごきげんよう!さわこです。

 

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「罪がいかに恐るべきものであるかは、

十字架の光に照らされて初めてわかります」

  E Gホワイト  

     (2022.4.17 今日の光より)

 

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イエスのようになろうと努力することの問題点は

第一の関心事が自分にあることです。

 

ルシファーの自分への執着が、罪をもたらしました。

 

私たちは自分で努力して変わることはできません。

私たちはキリストに変えていただくことによって変わるのです。

 

恵みによって与えられる祝福を受動的に受けて、

キリストのために何もせずに、

クリスチャンの命を保とうと努力しているなら

働かずに食べるばかりで生きようとしているようなものです。

 

神がお与えになった力を使わないクリスチャンは、

成長しないばかりでなく、

すでに持っていた力さえ失ってしまうのです。

 

    (今日の光 2022.4.20 より)

 

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旧約聖書の聖所の務めでは、

象徴的に、

悔い改めた罪人の罪が、

動物に移され、

その後、

祭司によって神殿に運ばれました。

 

それは、私たちに代わって

行われるキリストの働きを

指し示すものでした。

 

イスラエルの宿営では、

一年中、神の民の罪責と共に、

生贄の血が幕屋の中で

神の御前に運ばれていました。

 

これは初臨のイエスが、

多くの人の罪を負うために

ささげられたことを表しています。

 

そして、年に一度の贖罪日には、

聖所に溜まっていた一年分の汚れが

清められる至聖所での働きを

大祭司が担うのです。(レビ記16:16)

 

これは、再臨において、

イエスが救いをもたらすために、

地上に現れなさることを示しています。

 

私たちは初臨と再臨の間を生きています。

その間、聖霊は

「わたしたちが御国を受け継ぐための保証」

(エフェソ1:14)の役割を果たしてくださいます。

 

(今日の光 2022.4.21より)

 

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人生が最も困難な時であっても、

神は依然として支配しておられ、

天の至聖所からご自身の計画を実行しておられます。

 

私たちの感覚では、すべてが失われ、

神が私たちを見捨てられたように感じることがあるでしょう。

絶望し、希望を失いそうになる日もあるでしょう。

そのような時こそ、信仰を堅持する必要のある時です。

 

ヨハネ14:1.3

「心を騒がせるな。

行ってあなたがたのために場所を用意したら、

戻って来て、あなたがたを私のもとに迎える」

 

    (今日の光 2022.4.22より)

 

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マラナ・タ

 

マラナ・タの意味は

「主イエスよ、来てください」です。

 

旧約聖書では、「初臨」のイエスを待ち望みました。

しかし、旧約聖書には「再臨」のイエスも預言されています。