ごきげんよう!さわこです。
昨夜の投稿。
今朝読み返したら、文章が重なって繰り返していました。
手直ししているうちに、更なる気づきが与えられました。
修正しました。加筆した所は「青字」です。
創世記3:6
「女が見ると、
その木は
いかにもおいしそうで、
目をひきつけ、
賢くなるように唆していた。
女は実を取って食べ、
一緒にいた男にも渡したので
彼も食べた。」
この聖句から思うことを二つ
①
自分の目に美味しそうに見えた。
自分の目をひきつけた。
食べたら賢くなりそうに思えた。
唆していた。
木が唆す?
木を擬人化した表現ですね。
エバが、自分勝手に想像したのです。
それは、妄想をしたと言った方が適切かもしれない。
エバは、自分勝手な想像を膨らませてしまったために、
自分で自分を唆すことになったのだと思います。
美味しいものが好き
目を引くものが好き
賢くなりたいといつも思っている。
こういう欲望は、21世紀に生きてい私たちの誰もが持つ願望。
あまりにも自然でアタリマエ。
このアタリマエの感覚が、
神さまの御目には、罪の陰りとが見えるのではないかしら。
向上心があると言えばよく聞こえるけれども、
実は、誰かよりも賢くなりたい!
誰かと誰かを比べると言う比較級の発想。
あるいはだれよりも賢くありたい。
一番でいたいという欲望。
自分ファースト、自己愛、高慢の始まり。
さらに、「一緒にいた男にも渡したので」とあるように、
女性は、多分、男性よりも「社交的」かもしれない。
「お誘いするのが上手」
よく用いるならば「伝道」となるだろうし、
用い方を間違うなら「誘惑」となる。
自分のお気に入り、自分の口に美味しい。
つまり、良し悪しを自分を基準にしてしまう。
神さまがどうおっしゃたのか、ではなく、自分がどう感じたのか。
それで、人を誘うなら、それは「伝道ではなく誘惑に近い」のかもしれない。
(→ここは、考え過ぎだよって言われてしまうところかもしれないけど)
私も現代のエバにいつなってしまうかもしれない・・・
恐ろしいことだ、と自戒せずにはいられない。
②
「神から離れた美しさ、賢さ。神に反する心を持った美しさ・賢さ」には要注意です。
ヨハネ福音書を日本語に訳す時「始めに賢きものござる」としました。
神を「賢きもの」と、書いています。
美しいという漢字も「大」の上に「羊」・・・イエス様につながる字です。
賢さ・美しさは、本来的には「神の属性」です。
天でルシュファーに、神が与えた賢さと美しさをサタンは悪用した。
そこに謙遜という神様の属性が伴わないと、「悪しきもの」になってしまうんだと思いました。
賢さ・美しさは、本来的には「神の属性」ですね。
天でルシュファーに、神が与えた賢さと美しさをサタンは悪用した。
そこに謙遜という神様の属性が伴わないと、
「悪しきもの」になってしまうんだと思いました。
サタンは光の天使を装い、聖書を引用し、
聖書に同意するとみせて、反対方向に導いてきます。
サタンの巧妙さには、人は太刀打ちできません。
「はなはだ、よかった」と神がお造りくださったアダムとエバが
サタンに騙されたとすれば、私たちはなおもちろん、無防備な状態にあるのです。
マラナ・タ
終末期には、サタンの欺きは加速します。
サタンにに対抗する最善の防御は
聖書の神(三位一体の神)を信じ、
その神の内に生き、その神につながり続けることではないでしょうか。