ごきげんよう!さわこです。
性格の善良さや清さというものに、
人々の注意が引き寄せられることがあってはならない。
むしろそれらは、人々を
イエス・キリストに引き寄せる磁石となるべきである。
「なんと素晴らしい人格の持ち主だろう」と、
言われることを喜び満足しているなら、
その人は花婿キリストの真の友人ではない。
主の影が薄くなっていくからである。
クリスチャンとしての奉仕が、
キリストに目を向けるべき注意を
逸らす手段となりかねない。
そのようにならないためには、
花婿キリストとの霊的で生きた関係を
失わないように心掛けねばならない。
キリストとの生きた関係を保つことだけに心を用い、
他の何ものによっても、それが損なわれないようにすることである。
私たちクリスチャンは花婿の友人であって、花婿ではない。
神様の武具を用いながら、
神の働きに対抗して、神の摂理にとって代わってはならない。
マラナ・タ
オズワルド・チェンバーズ
「限りなき主の栄光を求めて」
3月25日より抄訳、深く深く導かれました。