ごきげんよう!さわこです。
庭の花桃のつぼみが日ごとに膨らんで・・・
忍耐は最終時代の神の民の特徴です。
忍耐なくして約束されたものを受けることはできません。
しかしながら、耐え忍ぶためには、信仰をしっかり保つ必要があります。
信じる者たちは、約束のものを受けたいと望むなら、信仰を働かせる必要があると説きます。
神の約束の成就には、定められた時があり、まだ待たねばなりません。
私たちは、約束の時とその成就の時の間に生きています。
しかし「もう少しすると、来るべき方がおいでになる。遅れることはない」(ヘブライ10:37,ハバクク2:3)
来るべき方とは、イエスです。
イエスは、すでに、定められた時に、私たちのために、死ぬべきためにおいでになりました。
そして、定められた時に、再び、必ず、おいでになります。
神はご自分の約束に対して忠実なのです。
神の忠実さが、私たちの神への忠実な信仰を生み出してくださいます。
神の忠実さに対する応答として、私たちの忠実さが生まれるのです。
(安息日学校聖書研究ガイド2022.3.6より)
トサミズキも、少しずつ、花が開いていきます。
小さなうちの庭にも、春の到来。
昨日の安息日学校聖書研究ガイドを読み返しました。
昨日は、とても慌しくて、読むだけで終わってしまっていました。
さて、感想
私たちは神への忠実さを、自力で生み出すことはできません。
自ら頑張って忍耐して、捻り出し絞り出すのが忠実な信仰ではないのです。
イエスを信頼するところに働く恵みが、忍耐する信仰・忠実な信仰を与えてくださるのです。
イエスの恵みが豊かに働くように、イエスを信じる者たちに与えられている信仰を働かすことができるために、イエスは聖霊を送ってくださっています。
聖霊は天地創造の世の始まりからすでにおられましたが、イエスは昇天なさるにあたり、ご自身が地上からいなくなっても、聖霊がキリストの御霊として、再臨なさるその時までの間の時を、導き、共にいて、私たちを慰め、支え、信仰を働かせる必要を満たしてくれるのです。
だから聖霊を拒んではならないと、イエスは、地上人生の時に教えてくださいました。
参考までに、この聖句を紹介します。
マタイ12:31,32
だから、わたしはあなたがたに言います。
人はどんな罪も冒涜も赦していただけます。
しかし、御霊に逆らう冒涜は赦されません。
また、人の子に逆らうことばを口にする者でも、赦されます。
しかし、聖霊に逆らうことを言う者は、だれであっても、この世であろうと次に来る世であろうと、赦されません。
この聖句を読んで、
「私は、聖霊を拒んだだけで、冒瀆はしていない。
私は、キリストの教えを否定しないけれども、自分の神だとは思っていないだけのことだ」
と、言うかもしれません。
「イエス様は、どんな罪も冒瀆もゆるされるといっているじゃないですか?
イエス様の言葉に逆らっても赦されるってかいているじゃありませんか?」
と、言うかもしれません。
ここの聖句だけを読むと、その言い分は正しく思います。
確定申告に税務署に行った帰り道、満開のミモザを見つけました。
しかし・・・
聖霊に逆らい続けたら、どうなるのでしょうか?
イエス様に逆らう言葉や、冒瀆行為もエスカレートしていく可能性は大きいでしょう。
神様への感謝や讃美の言葉を語ることも出来なくなるのではないでしょうか?
隣人に対しても、親切・礼儀・誠実・柔和をもって接し続けることができるでしょうか?
自分の得することにしか関心を持てない人間になって行く可能性があると思います。
コリント第一の手紙
2:11「神の霊意外に神のことを知る者はいません」
2:14「自然の人は神の霊に属する事柄を受け入れません」
12:3下句「聖霊によらなければ、だれも 『イエスは主である』とは言えないのです」
ここの聖句を読むと、イエスを信じる事は、聖霊に拠ることが分かります。
聖書は、一か所だけでは、自分に都合よく読みかねないのです。
なぜなら、サタンは、人間以上に聖書を知っているからです。
マラナ・タ
讃美歌があふれてきました。
♪ 父、御子、御霊の おお御神に ときわに たえせず 、みさかえあれ 御栄えあれ アーメン
ユーチュブさんでお借りしました。