ごきげんよう!さわこです。
目覚めてすぐ、「今日の光 2022.2.27」 を読んでいました。
 
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人類がエデンの園から出た時、待ち時間が始まりました。
私たちは病んでおり、根本的な解決策を必要としています。
約束された解決策は、蛇の頭を打ち砕くためにやって来る女の子孫でした。
新しい子どもが生まれるたびに、神の民は「メシアはこの子だろうか」と考えました。
罪の代償は死ですから、人類が不安に思うのは当然です。
 
人間が神の道徳律に違反するたびに・・・神は不公平だとサタンは主張しました。
 
神は人間の罪を見逃しておられたのでしょうか。
神は罪を許していたのではありません。
それは神ご自身の義なる品性に背くことになるので、あり得ないことです。
 
神は、御子イエスが私たち人間の身代わりになって、正義から満たされる日を待ちながら、罪を見過ごしておられたのです。
 
神ご自身が身代わりとして命を捧げること(三日後に復活されても)は、父なる神にとっての比類ない苦しみでありました。
イエスの犠牲によって罪が過ぎ越してしまうまで、すべての試練が終わるまで、父なる神は待っておられます。
 
聖書を振り返りました。
そのまま、今朝のデボーションタイムに突入しました。
 
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十字架は、神の勝利、サタンの敗北でした。
 
神様が創造されたのは、地球と地球上の創造物だけではありません。
 
神様の創造された宇宙には、人間のような罪を犯していない被造物がいるのです。
 
その被造物たちは、神様が罪をいかに解決なさるかを、固唾を飲んで見つめています。
 
神の愛と正義の調和が証明されたこと、罪を犯した人間が処分されないで赦される救いの道(計画)を思い巡らせました。
 
では、罪の創始者サタンは、どうなるのでしょうか。
 
神はサタンをどうするのか?
聖書は、大贖罪日の儀式(年ごとの儀式)によって教えています。
レビ記16 章にあります。
アザゼルの山羊はサタンの象徴です。
(SDAは文脈からそう理解しています)
 
1年間のイスラエルの罪をサタンに負わせて荒野の遠くに放つ。
アザゼルもイエスですという解釈があると知った時、私は混乱しました。
SDAの聖書理解とは、まったくちがうからです。
 
聖所の、日々の動物を屠る儀式は、十字架の象徴である犠牲だとはわかりますが、至聖所の儀式の「犠牲」も同様であるという解釈が分かりません。
その解釈の違いが、アザゼルをキリストとするか、サタンとするかの違いなんだろうと思いました。
 
至聖所で行われる儀式は、サタンの罪をどうするか?
アザゼルの山羊はサタンであるというEGホワイトの解釈が、私には納得できるのです。
 
それは、多分、一年に一回の通読を、ユダヤの祭りに焦点をあてながら20年間読んで来たからかもしれません。
15年目の通読で レビ記の16章を読んでいた時、見え始めました。
大贖罪の日の年に一度の儀式が漸進的に理解できてきたんでしょうね。
 
25年間、あやふやでわからなかったこと、SDAの教理を学んでもわからなかったこと。
それが「理解できる桝目に達した」のだろうか?と思いました。
以来、レビ記16章・23章、お気に入りです。
 
2月の終わりが来て、庭にハコベが咲きました。
 
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マラナ・タ
少しずつ、漸進的に、聖書の分からなかった所が見えて来る。
聖霊様の助けなんですね。
 
イエス様は、ヨハネ福音書16章で、天に帰られたら「助け主である聖霊を送る」とお約束なさいました。
聖書は、聖霊様の導きを祈って、読むことが大事なんですね。
サタンは、人間以上に聖書を知っていますから。
聖霊様の守りから、出てしまうことのないように。
聖霊を拒む罪は赦されないと、イエス様は仰いました。