ごきげんよう!さわこです。
蝋梅の季節が来ました。
オズワルド・チェンバーズ
「限りなき主の栄光を求めて」1月21日より抜粋
私は神を愛しているだろうか?
それとも神からの愛を期待しているだけだろうか?
イエス・キリストが私を必要として
「わたしに水を飲ませてください」(ヨハネ4:7)
と言われたことを覚えているだろうか?
主を愛することよりも
人間の知恵の方が大切になってしまってないだろうか?
主を愛するゆえに、
主がどこへ自分を導かれても構わない、
という覚悟が今もあるだろうか?
その事に気づいたならば、
その恥と不名誉をそのまま受け入れることである。
なぜなら、「神の御心に添った悲しみは、悔い改めを生じさせる」(IIコリント7:10)からである。
マラナ・タ
讃美歌を思い出されました。
汚れ と恥との
深みに おちいり
もがける この身を
主は 見いだし
やさしき恵みの
もろ手を 差し伸べ
引き上げたまえり
ああ 主は愛なり