ごきげんよう!さわこです。
昨日は一日中、冷たい雨の日曜日でした。
白い山茶花が、氷雨でコーチングされて、蝋細工のよう。
今日の安息日学校ガイドには
「信仰も不信仰も同じように伝染します」とあります。
信仰と思い込んでいる不信仰さえあります。
日々イエス様から伝染・感染され続けなければ、私たちは日々、危機にあります。
「わたしはぶどうの木、あなた方はその枝である。」(ヨハネ15:5)
イザヤ59: 1も思われました。
「主の手が短くて救えないのではない。
主の耳が鈍くて聞こえないのでもない。」
御言葉を聞いても、信仰に結びつかない聞き方しかできない人もいます。
「・・・彼らには聞いた言葉は役に立ちませんでした。
その言葉が、それを聞いた人々と、信仰によって結びつかなかったからです」(ヘブライ4:2)
「御言葉には力がある」
これは真実です。
しかし、聴く側の「信仰」によっては、その力が引き出されないことが起きて来るのではないでしょうか?
イザヤ59: 1
「主の手が短くて救えないのではない。
主の耳が鈍くて聞こえないのでもない。」
楓の木には、実がいっぱいなっています。
美味しくないのでしょうか?
鳥が食べているのを見ません。
私たちが、皮相的読み方にとどまってしまうことが無いように祈ります。
神様が御言葉の力を引き出してくださるような読み方ができますように祈ります。
イエス様の信仰で御言葉に触れますように祈ります。
イエス様いつも私の内にお住みください。
そうすれば、あなた様の御霊が、天の至聖所から降って来られます。
イエス様の信仰で満ち満ちさせてくださいと祈りました。
マラナ・タ
私たちが御言葉に触れる時、イエス様の心で読むことを求めますように。