ごきげんよう!さわこです
安息日礼拝の帰り道。
山なみのグラデーションがきれい。
神様を讃美せずにはいられない。
「主を讃美するために民は創造された詩編102:19下句
安息日学校の小学上級生分級は、列王上19章のホレブで神様の静かな声を聞く所でした。
子どもテキストを読み、聖書を読み、証の書(エレン・ホワイトの著作集)を読む。
そうして、分級に備えさせていただくんですが、その過程は恵まれます。
安息日の午後4時半
太陽はサンセットに向けてスタンバイ始めています。
「ここで何しているのか」この神様の問いかけが1度ではなく2回あったことにも、
「二回も神様はエリヤに尋ねてくださったんだ」と、感動したり。毎回、新しい気づきがある喜び。
今までも、旧約聖書の中にイエス様がいろんな形で現れることに気づいて来ました。
今回も、主の御使、主の言葉、主、これらをイエス様に置き換えることができるんじゃないか?って思いました。
旧約聖書を通して、火、雲、水、岩、御翼、大天使、御言葉も全部イエスさまですよね。
天使ミカエルが、イエス様を指していることも。
メルキゼデクも。
「これもイエス様だ」「これもイエス様だ」と思える箇所の多いこと多いこと。
そうやって「イエス様」に置き換えて読んでいたら、ロゴスが私にとってのレーマとなって迫ってきたんです。
「言」は、イエスそのものであられる事は、ヨハネ福音書の一章にはっきりありますね。
イエスさまは、「聖書は私を証している」(ヨハネ5:39)とおっしゃいました。
1コリント10:4にも「この岩こそキリストだったのです」とあります。
分級の時、それを話したんです。
そしたら「礼拝の時、聖書の中からイエスさま探しをしようと思います」って言ってくれました。
うれしい!
「主を喜び祝うことこそ、あなたたちの力の源である 」ネヘミヤ8:10下句
安息日学校子どものクラスを担当させていただく醍醐味を毎回、堪能しています。
テキストには引用されていなくても、学んでいるうちに、聖霊様によって示される聖句がいくつか出てくるんです。
そうして、礼拝に臨むと、分級で話したその聖句が礼拝説教の中に出てくるんですね。
それには、私も子供も驚きます。
もう大学生になっている子たちの時からなんですよね。
神様の粋なお計らいですね。
サンセット
月齢 5,4の夕月