ごきげんよう!さわこです
朝、6時ごろ、輝いて半月が、大きく写りました。
7時半前になると・・・はっきり。下弦の月。
ヘブライ人への手紙は、
紀元60年から65年の間にローマにいたパウロが、
ギリシャ文化の背景の中で、
エルサレムに暮らしていたユダヤ人クリスチャンに向けて
書かれたものだと思われます。
彼の論証は
ユダヤ人のミドラーシュ的(?調べなくちゃ)聖書解釈法に近いものです。
推察するに、
彼は十分な教育を受け、
修辞学の訓練を受けていたと思われます。
安息日聖書研究ガイド副読本7頁より
ユダヤ人的修辞学?
読む私は日本人だから、
染み付いている日本人的修辞学もあるんだろうな。
そこを識別しておくことが、
もしかしたら、かなり大事かも。
自分流理解にならないためには、と、ガイド副読本7頁を読みながら思いました。
そこで、調べました。
ミドラーシュ - Wikipediaより
ミドラーシュとは、ヘブライ語で、「捜し求めるもの」の意味。
聖書解釈法「デラーシュ」と、そこから誕生した文学ジャンルの一つ。
デラーシュとはミクラー註解法の一つで、意味の解説、隠れた意味を探るなど、決して字義通りではない聖書解釈のことをいう。
しばしば、文字に書かれていること(ペシャート)とはまったく異なった内容の解釈を引き出すこともある。
ミドラーシュの指す内容には次の二つがある:
ミドラーシュ・ハラーハー Midrash halakha : トーラー(創世記を除いた4書)のタナイームの注解書群。タルムードとは関係がない。
ミドラーシュ・アッガーダー Midrash Aggadah(「語りのミドラーシュ」、物語ミドラーシュ):5世紀から16世紀に亘り、膨大な数のミドラーシュが誕生した。
以上
八時になると、青空に浮かぶ下弦の月。
なぜか大きく、貼り付けられない。
残念!
ミドラーシュとは、「捜し求めるもの」の意味。
さらに、「隠れた意味を探るなど、決して字義通りではない聖書解釈のこと」
簡単に言うなら、こういうことです。
なんだか、私たちの聖書の味わい方に似ているような。
それぞれが受けたことの分かち合いのような。
そして、その理解が牧師先生やEGホワイトの書に一致していると、勝手な解釈ではなかったのだと安堵する。
あるいは、神様が、直々に各自の信仰にささやいてくれることもある。
そう、それが、「ロゴス」が「レーマ」となる時なのね。
そういうときって、イエス様に包まれる感覚がある。
ご臨在に触れる。感性と知性と理性と体感が一つになるような。
クリスマスマスに食べました。
去年も同じの食べていました。
うちでお菓子を作るのをやめて久しくなります.。
美味しい洋菓子は、年に数回、何かの時にだけ。
その一回が、ここのケーキです。
子どもたちがいなくなった現在の健康生活の知恵の一つかも。