ごきげんよう!さわこです。

 

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私たちの品性を

キリストの姿に変えてくださるのは、

イエスが世に遣わすと言われた弁護者なる聖霊である。
(今日の光 2021.11.26)

EGホワイトのこの言葉の根拠はヨハネによる福音書16章7節です。

 

「しかし、実を言うと、わたしが去って行くのは、あなたがたのためになる。

私が去って行かなければ、弁護者はあなたがたのところに来ないからである。

わたしが行けば、弁護者をあなたがたのところに送る」

 

弁護者とは?

ヨハネ14章15節に書かれています。

14章には「聖霊を与える約束」という小見出しがついています。

新共同訳聖書の使い勝手の良い所は、各章ごとに小見出しがあるという事です。

 

新共同訳聖書については、一部の熱心なプロテスタント主義の教会員には不人気です。

その理由は、カトリックとプロテスタントの神学者が共同で翻訳したという事のようです。

そして、そういう方々は、強く、口語訳を支持しています。

 

しかし、私はこだわらない派です。ですから、

 

・文語訳

・口語訳(スタディバイブル口語訳も、合わせて2冊)

・新改訳(2016年度の改訂版も、バイブルナビもチェーン式解説付きも、合わせて3冊)

・新共同訳(写真付きのと、携帯用合わせて3冊)

を用いています。

英語訳、大阪弁訳、気仙沼弁訳も、持っています。

まるで、聖書オタクです。

聖書を愛しているんです。

 

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ではヨハネ14書を引用します。

 

15 あなた方は、わたしを愛しているならば、わたしの掟を守る。

16 わたしは父にお願いしよう。父は別の弁護者を遣わして、永遠にあなたがたと一緒にいるようにしてくださる。

17 この方は、真理の霊である。世は、この霊を見ようともしないので、受け入れることができない。しかし、あなたがたはこの霊を知っている。この霊があなたがたと共におり、これからも、あなたがたの内にいるからである。

 

26 しかし、弁護者、すなわち、父がわたしの名によってお遣わしになる聖霊が、あなたがたにすべてのことを教え、わたしが話したことをことごとく思い起こさせてくださる。

 

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数年前のことですが、バプテスマを受けてほどない信徒が、

「さわこさん、聖霊について教えてちょうだい」と言ってこられたことがありました。

私は、「ヨハネによる福音書の14章と16章に書いてあるから読んだら分かります」と答えました。

 

その方は、びっくりなさいました。「ええ?聖書に書いてあるんですって?」

「もちろん、そうよ。私は、聖書に書いてあることしか言っていません。自分の想像や思い付きで聖霊様のことを語ったりしていません」

 

どうやら、私が聖霊という名の神様を受け取る特別な方法を知っているかのように、勘違いしていたらしいのです。

どこから、そのような誤解が生じたのかは、分かりませんが、私が「異言を語れる」とか、「聖霊を呼ぶための特殊な祈りの文言を知っているとか」そんなふうに想像していたらしいのです。

 

「私には『異言を語る賜物』は今のところ与えられておりませんし、聖書を読む時にも、聖書から聖書へと根拠が分かるように書かれたことしかお話していません。特殊能力なんて私にはありませんよ」(笑)

 

「聖霊様については、ヨハネによる福音書の14章と16章ほどわかる箇所はないと思います。

 

また、セブンスデーアドベンチスト教会の初代の頃から、神様に幻を頂いて、聖書の解説書をたくさん執筆なさったエレン・G・ホワイトの著作集も非常に役立ちます。

まだまだ、日本語に翻訳されていない文書もあるようですけれども、聖書の行間部分を、神様からの幻と洞察によって、解説されているので大変助かります。

 

でもホワイトさんはこう書いていらっしゃるのよ。

『私が聖書と違うことを書いてあったら聖書を信じてください。私の書物は聖書を照らす小さな光に過ぎません』って。

でも、私はホワイトさんの本を全部読んでいないし、聖書の通読も十年以上やっては来たけれども、分からないままに読み呼ばした箇所もあるし、まだまだ、初級者+アルファの信徒の一人に過ぎないから、一緒に学んでいきましょうよ」

と話しました。

 

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私は、異言を語れるようになりたいと思ったことはありません。

異言で語らなくても、聖書(預言書)を読んで、祈ることで神様との交わりができるからです。

神様のお返事は、聖書の言葉に書かれているからです。

そこのどこに注目するのか、を示して頂ける。

そして、それが、自分の心の内に深く浸み込んでいく。

そういう働きをしてくださるのが、きっと聖霊様なのです。

 

デボーションとは、そういう神様との交わりの時なのです。

 

ここでいう「神様」とは三位一体の神様の総称です。

そうした神様とのお交わりができるのは、御子なる神であるキリスト・イエスの十字架の贖いを信じるからです。

 

そのことを信じていない人には、神様は働いてはくださらないのでしょうか。

いいえ、キリストの贖いを信じることができるのも聖霊の神様の働きです。

 

ほんとうの神様を心の底から求めている人を、神様は見つけてくださって、聖霊の神様が語り掛けてくださるんです。

私自身が、そうして頂いた一人です。

 

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さて、預言と異言について、パウロは書いています。

 

コリント第一14章1節―5節

1 愛を追い求めなさい。

  霊的な賜物、特に預言をするための賜物を熱心に求めなさい。

 

2 異言を語る者は、人に向かってではなく、

  神に向かって語っています。

  それは誰にも分りません。

  彼は霊によって神秘を語っているのです。

 

3 しかし、預言する者は、人に向かって語っているので、人を造り上げ、励まし、慰めます。

 

4 異言を語る者が自分を造り上げるのに対して、預言する者は教会を造り上げます。

 

5 あなたがた皆が異言を語れるに越したことはないと思いますが、それ以上に、預言できればと思います。

  異言を語る者がそれを解釈するのでなければ、教会を造り上げるためには、預言する者の方がまさっています。

 

「預言」とは、聖書の言葉です。

将来を語る「予言」とは違います。

福音書には、旧約聖書のことを「律法と預言者」と言いあらわしています。

パウロの時代には、新約聖書は編集されていません。

5節まで引用しましたが、それ以降も、関心があるならご自分の聖書で続きを読んでください。

 

22章以降も引用いたします。

 

22 このように、異言は信じる者のためではなく、

   信じていない者のためのしるしですが、

   預言は、信じていない者のためではなく、

   信じる者のためのしるしです。

 

 

コリント第一14章26節ー33節

26 ・・・あなた方は集まった時、

   それぞれ詩編の歌をうたい、

   教え、啓示を語り、異言を語り、

   それを解釈するのですが、

   全てはあなたがたを造り上げるためにすべきです。

 

27 異言を語る者がいれば、

   二人かせいぜい三人が順番に語り、一人に解釈させなさい。

 

28 解釈する者がいなければ、

   教会では黙っていて、自分自身と神に対して語りなさい。

 

29 預言する者の場合は、二人か三人が語り、

   他の者たちはそれを検討しなさい。

 

30 座っている他の人に啓示が与えられたら、

   先に語り出している者は黙りなさい。

 

31 皆が共に学び、皆が共に励まされるように、

   一人一人が皆、預言できるようにしなさい。

 

32 預言者に働きかける霊は、預言者の意に服するはずです。

 

33 神は無秩序の神ではなく、平和の神だからです。

 

39 わたしの兄弟たち、こういうわけですから、

   預言をすることを熱心に求めなさい。

   そして異言を語ることを禁じてはなりません。

 

40  しかし、全てを適切に、秩序正しく行いなさい」

 

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マラナ・タ

 

「今日の光」を今朝、読んだあと、つぎつぎと聖句へと導かれて、家事や犬の世話をはさみながら、午後の二時まで昼食抜きでのデボーションとなりました。

今は、ノートに書くというよりも、ワードに書いて、ブログに貼りつけています。