ごきげんよう!さわこです
予告していた「つづき」です
サムエル記17章 安息日学校小学上級生分級2021.8.28より
さあ、次は17章に移りますね。
17章にはダビデは羊飼いの仕事していたことと、とゴリアテとの戦い。
二つのトピックがあります。
子どもたちは、 「知ってる、知ってる」と、身を乗り出したことが電話のこちらにも伝わってきます。
子どもは、知っているお話を聞くのが大好きです。
「ゴリアテって、どんな人だった?」
「すごい、大きい人」
「そうだね、背の高さはどのくらいかしら?聖書には6アンマ半ってあります。メートルに直したらどのくらいかな?」
「3メートルですって!」
「ダビデは、君たちよりは年上だから、150センチくらいだとしても、ダビデの2倍はあるよ。」
「ヒャー、すごい!」
「ダビデは、負ける!って、君たちは、思う?」
「思わないよ、絶対勝つよ。勝ったもの!」
そう、子どもたちは、このお話の結果を知っています。
「じゃあ、どうして、ダビデは勝てたの?」
「ダビデは、神様を信じていたから、神様が味方したんだ!」
「ゴリアテだって、ペリシテ人の神様を信じていたよ」
「ちがうよ。ゴリアテの信じていた神さまは、本物の神様じゃないもの」
このことからも「僕たちもダビデと同じ神様を信じているんだぞ」という気概が伝わってくるようです。
「じゃあね」とちょっといじわるな質問をしてみました。
「ほんとうの神様を信じていたら、ダビデは戦わなくても、勝てたのかしら?」
「ちがうよ。ダビデは戦ったんだよ」
「どうやって戦ったの?」
「石投げ器をつかって、石を、ヒューって飛ばしたんだ。その石はゴリアテの額にパッシと命中して、ゴリアテはドサッと倒れたんだ」
と、まるで見ていたかのように話してくれます。
「どうして、ダビデは石投げ器を使って戦うことを知っていたの?」
「ダビデはね、ふだんから、戦うことになれていたんだ。羊を飼う仕事をしていたから、ライオンや熊から羊を守るために戦って来たんだよ」
サムエル記17章37節を読んでもらいました。
「獅子の手、熊の手からわたしを守ってくださった主は、あのペリシテ人の手からも、わたしを守ってくださるにちがいありません」
ここには、ダビデが神様の守りを信じる心が読み取れますね。
さらに、42節には、こうありますよ。
「・・・ダビデが血色の良い、姿の美しい少年だった」と。
同じ聖句が出てきましたね~。
サウル王さまは、ダビデに王様のかぶととよろいと剣を貸してくれたんでしたね。
ダビデはそれを着たんでしたっけ?
「こんなのを着ていたら、歩くこともできないって、着なかったよ」
ここも大事なところね。
サウル王様からの借り物ではなく、ライオンや熊と戦う時にいつも自分が使っている物で戦ったのね。
ふだんから、いつでも、戦えるようにダビデは準備できていたんですよ。
石投げ器に使う石も、自分で選んで5つ持っていたのね。
ここで、もう一つ大事なことは、
ふだんから準備していると言うこと。
つまり毎日が大事だってこと。
先週は、ヨナタンが、自分の剣でペリシテ人と戦って勝ったことを学びましたが、覚えてるかな?
新約聖書エフェソの手紙6章17節に「霊の剣、すなわち神の言葉をとりなさい」
ここを赤線で引いてもらいました。
クリスチャンにとっては、最大の武器は「霊の剣である御言葉」ですね。
敵と戦うためにする準備とは、聖書を読む事、聖書を学ぶこと、そして、聖書の神様の約束を信じて祈ること。
それが、クリスチャンにとって欠かしてはならないことなの。
サムエル記上16節と17節を勉強して、
君たちに覚えてもらいたいこと、
そして毎日、実行してほしいことは、
「イエス様を信頼して信じて、聖書を読んで、祈ること」これです。
これだけです。
もし、忘れた時には、「神様、ごめんなさい。忘れました。ゆるしてください」って、心からあやまったら、神様は「気前の良い」お方だから、ゆるしてくださいますからね。
神様のやさしさに甘えていいかげんになってしまわないように、「ごめんなさい」と言った自分の言葉に責任を持つように心がけましょうね。
それでも、失敗しちゃうかもしれないけれども、「もう自分はダメだ・・・」なんて諦めないで、心から神様にあやまるんですよ。
それをくりかえしていたら、神様が努力する心を強くしてくださいますからね。
イエス様を信じる心を強くしてくださいますからね。
マラナ・タ
僕たちの神様は、『ケチなヤツ』ではない「気前の良いお方」なんですから。