ごきげんよう!さわこです。
新約時代の指導者たちは、安息日を守ることに関しては名人でした。
安息日を聖く守るために、何十もの禁止事項や規則が定められていました。
これらの禁止事項の中には,結ぶことやまとめること、糸をほどくこと、火を消すこと、私有地から公の場所べき移動すること、公の場所で一定以上の距離に物を運ぶことなどが含まれていました。
(安息日ガイド9月1日、77ページより)
今でもユダヤ教徒の人はそれに似たことを忠実に守っていると聞きします。
アドベンチストの中にも、そこまで極端ではないけれど、
禁止事項に忠実であることが、安息日遵守であることのように考える方もいらっしゃいます。
9月1日のガイドのタイトルは
「他者に仕えることは神の安息日の誉れとなる」
ここにも、安息日遵守のヒントがあると思いました。
しかし、そこもまた。微妙に難しい所でもあるんですが・・・
「他者に仕えること」 の解釈によって、安息日の守り方が変わってくる。
安息日の「精神・こころ」の捉え方は、その人の信仰の色合い、家庭事情、仕事内容・・・さまざまに関わってきます。
イスラエル民族としての、システムの中での生活と、そうでない場合と。
悩ましいところです。
聖書には、『字義とおりに』解釈すべきところと、そうでない所がある。
そこの見分け方、理解の仕方、解釈の違い、神様からの識別力が必要とされます。
マラナ・タ
聖書の字義とおりに守ることについての重荷。
昔も今も、祈りの課題です。