ごきげんよう!さわこです。

 

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「イエスの御名によって・とりなしの祈り」

第8章 95頁より

 

神様とサタンとの、

宇宙規模の戦いの交戦規定に関して、

信仰と祈りは、極めて重要な鍵となります。

 

もし、人々が信仰を持って祈るなら、

神様の支配の境界線は広がるのです!

 

人の人生を執りなす力も増すのです!


 

キンシバイが、次々と咲き始めました。

この川辺の土手の道に沢山のキンシバイを植えてくれた人がおられます。

 

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「イエスの御名によって・とりなしの祈り」

第8章  95-97頁より

 

 

「シモン、シモン、サタンはあなたがたを、小麦のようにふるいにかけることを神に願って聞き入れられた。しかしわたしはあなたのために、信仰がなくならないように祈った。だから、あなたは立ち直ったら、兄弟たちを力づけてやりなさい」(ルカ22:31.32) 
 
サタンは、ペテロを動揺させる許可を求めました。
 
何世紀も前にヨブにしたように、試みるためです。
 
ペテロはイエスの弟子たちのリーダーでした。
 
ペテロの弱さを見越したサタンは、彼を誘惑して、他の人たちの前で自分をよく見させようとさせ、園では祈る代わりに居眠りをさせ、(マルコ14:32,33,37,38)そして、ついには、人々の前で救い主を否定させました。(ヨハネ18:15-18,25,26)
 
ペテロは失敗しました。
最も重要な場面で、ひどい失敗をしたのです。
 
けれども、イエスが信仰をもってペテロのために祈っていたので、立ち直りました。
 
ペテロは自分の大きな罪を悔い改め、謙遜な心でキリストの群れの世話をして、ついには自分の命さえ犠牲にしたのでした。
 
イエスがペテロのために祈っておられたからです。
 
サタンの目的は、ペテロを利用してキリストの救いの伝道に損失を与えることだったからです。
 
もしペテロを背教させることができれば、天における戦い以来ずっとサタンが言って来たように、神の約束と支配は間違いであると主張できると、サタンは考えました。
 
しかし、この日、イエスは仲介者としての力を発揮されました。
 
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信仰と祈りは、この善悪の戦いにおける鍵です。
 
私たちが祈らない時、信仰をもって神に近づかない時、神の働きは制約されます。
 
神の力が弱まるのではありません。
 
神はその御性質として、存在論的には全能のままですが、倫理的には、したくてもできないことがあるのです。
 
不信仰は、神の力を発揮させる妨げとなります。
 
私たちが追い払わなくてはならない最大の”悪霊”は、不信仰なのです。
 
ひたすら求めましょう!
イエスは、あなたに求めてもらわなければならないのです。
 
信仰をもって求める人が増えれば、増えるほど、主は、この大争闘において規定ので範囲内で、より自由にお働きになることがおできになるのです。
 
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マラナ・タ
 
私たちの祈る「執り成しの祈り」は、
必ず「イエスの御名によって祈ります」
 
つまり、私たちの「祈り」は、
いつも、イエス様が執り成してくださっているのです。
 
十字架の主、復活の主、ご再臨なさる主
イエスを「キリスト」と信じる者の祈りは、
イエスの祈りと、父なる神はみなしてくださいます。