ごきげんよう!さわこです。
ローマ書を読みながら今朝のデボーション
イスラエルは
義の律法を求めていたのに、
その律法に達しなかったのは、
信仰によってではなく、
行いによって達せられるかのように考えて
躓いたのです。
ヘブライ人は、
服従は救いの結果ではなく、
救いの手段であると信じていました。
イスラエルは熱心に神に仕えましたが、
正しい認識に基づいていませんでした。
何故なら、神の義ではなく、
自分の義を求めようとして、
神の義に従わなかったからです。
信仰によってもたらされる「神の義」ではなく、
律法に対する服従の中に義を求めました。
服従は、救われた者の応答であり、
救われるための手段ではありません。
キリストは、信じる者すべてに
義をもたらすための、律法の目標であります。
(ローマ9:30-32,10:2.3より)
マラナ・タ
キリストは律法の目標!
白い花は、イエスの義の衣の色