ごきげんよう!さわこです。
(アドベンチストの信仰570-572ページから抜粋)
キリストと一つになっている人すべてに救いが保証されています。
しかし、自分がどれだけ多くの良いことをしたか
ということを基準にして、
クリスチャンであることを公言する人々に対しては、
キリストは救いを保証することはおできになりません。
天の記録は、
偽物から本物をふるい分ける道具ではありません。
それは真の信徒たちを
天使の前で承認するための根拠となります。
私たちは贖罪の日が指し示していた
厳粛な時代に生きてはいますが、恐れる必要はありません。
イエス・キリストが天の聖所において、私たちのために、
犠牲と祭司という二重の役割を果たしていてくださるのです。
ヘブル4:14-16
「この大祭司は、私たちの弱さを思いやることのできないような方ではない。罪は犯されなかったが、すべてのことについて、私たちと同じように試練に会われたのである。だから、私たちは憐れみを受け、また、恵みに与って時機を得た助けを受けるために、はばかることなく恵みの御座に近づこうではないか」
キリスト様と一つになって生きているならば、
自然に、良いことをするような選択ができる。
自分の信仰が、本物か偽物か、
ましてや他者の信仰をあれこれ詮索する必要などない。
マラナ・タ
ただ、いのろう。
おんちちうえさま
おんちちうえさま
きりすとさまと
ひとつにならせてください、と。