ごきげんよう!さわこです。
一年以上出来なかった分級が昨日、ようやく持てました。
四月からの新しい学年。
私の4年~6年生の聖書クラスの初めての授業時間。
私たちは、大都市圏に住んではいませんから、
この1週間は、新感染者が出ることから守られて安息日礼拝に集まることができました。
以下、分級の喜び報告です。
元気なギャングエイジの男の子たち。
雄叫びのごとし。
じっとしていられません。
気持ちを落ち着かせて、聖書の学びが出来るように、方向づけて切り替えなくては。
6畳間の畳のゲストルームで分級をしています。
この広さが、子どもたちの気持ちを集中するのにふさわしいのです。
さらに、昨日は、小さな椅子に座ってもらいました。
畳にそのまま座っていると、姿勢が保てません。
寝転がったり・・・までやってしまう子も出てきます。
テーブルの上に散らかって放り出してある聖書とノート、筆記用具も、揃えてもらいました。
「大声を出していると、興奮して、怒りやすくなるんだよ。
イエス様は自分を愛するように、人を愛しなさい、とおっしゃったわね。
つまり、大声を出していると、怒りっぽくなってくるんです。
大声でやかましくしていると、自分で自分を煽って
自分で自分を痛めることになってしまうよ。」
と話してみました。
二人はびっくりして私を見つめました。
「でも、大声出さないといけない時もあるね。どんな時?」
危険な時、誘拐されそうな時。
そう、そう。
状況を見分けることが大事。
それを難しい言葉で言うと、
「識別力」と言うんだけれど。
その力をくださるのは神様なのよ。
イザヤ11章を開いてごらん。
2節に、知恵と識別の霊・・・とあるでしょう。
二人に読んでもらいました。
イエス様にはその識別の霊がとどまり満ちている。
だから、見極める識別の力は、イエス様にもらわなくちゃならない。他からは来ない。
との言葉が自然に出て来ました。
(つまり、聖霊様のお導きね)
元気すぎる男の子に「静かにしなさい!人の迷惑になります」と、言って済ませる、そんな近道ではこの問題は解決しないと常々思っている私を聖霊様は助けてくださいました。
私の話を受け入れる背景が育っているのがクリスチャン家庭での信仰だと思いました。
そうして、子供ガイドテキストに入ることが出来るように、子供たちの興奮が収まりました。
分級の本題に入る前の、神様のこのお導きの体験は、私と子供たちの宝物になりました。
後は、用意してあった流れで、旧約・新約聖書を引きながら予定通りの学びができました。
もっと時間があれば、ノートの取り方や、聖書の引き方指導もできるのですが、
そんなことから始めると時間が足りなくなるので、先々の課題です。
コロナ禍ということで、時間も短縮するように言われていました。
授業に入るまでに、時間を取ってしまいましたから、少々時間オーバー。
「ごめんね、もっと早く終わらなくてはいけなかったのに、ごめんね」
と謝ってしまいました。
すると、「神さまの勉強はすっごく楽しいから、100時間だってしたい!」
もうひとりの男の子は「ぼくは、1000時間でもいいよ!」と。
慰めてくれるではありませんか!
次が楽しみだ!ヒュウヒュウって感じで
最後のお祈りをしてくれました。
マラナ・タ
今度の子どもたちとの分級も今までのように聖霊様に導かれ満たされています。
教会に来られないときには、ライン電話で、することに決まりました。