ごきげんよう!さわこです。

 

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全体の流れの中ででなく、

前後の脈絡関係なく、聖書の言葉を、自分軸で解釈してしまうことってないですか?

 

観光地のお土産の湯のみ茶碗に「いつも喜んでいなさい」とか「どんなことにも感謝しなさい」と書いてあったり。

それで、聖書を全く知らない人が、ふと、聖書に関心を持ったりすることもあるかもしれないのですが。

 

また、アブラハムやダビデを完全無欠の信仰者のごときメッセージを聞いて、ついつい「アブラハムって嘘つきだったよね」「ダビデって部下の妻だと知りながら寝とったよね。しかも、忠実な部下を殺しちゃったよね。十戒のうちの二つも破ったのに・・・」なんて、下世話なことまで考えてしまう、”俗人さわこ”でもあるのですが・・・

 

「にもかかわらず、神は・・・用いられる」なんですよね。

そこのあたりを、実に、語ってくださっているのです。

 

ともすれば、聖書の有名な人物を、”きれいごとだけで、信仰の手本としなさい”と道徳書のように読んでいたら、「なんてこったい」と思うところが出て来るんですよ。

 

このシリーズは、実にいっぱいありまして、私は全部は視聴してはおりません。

でも、この動画と、次のギデオンの動画は、きっと宗派を超えて共感するのではないでしょうか。