ごきげんよう!さわこです。
1月13日から読んでいます。
書いている途中で消えてしまいました・・・
残念。
かなり長く書いていましたのに・・・
私がこの本を読むに至るまでのこと。
そのゆえに、北森先生の書かれていることにどれだけ共感できるかという内容でした。
もう、長く書く時間がありません。
またの機会に。
今回は、引用に留まります。
最後の「解説」を加えると308ページあります。
116ページまで読みました。
昨日、読んだところを紹介します。
それ以前のところも、ラインを引き、枠で囲んでいますから、おいおいと・・・
「神の痛みの神学」
98-99ページより、分かち合い。
「象徴」という語は
「結合する」というギリシャ語より由来している。
象徴は、
人間的真理を
神的真理と結合することによって、
神的真理を証することである。
人間の痛みが
神の痛みの象徴になるということは、
痛みという事態を通して
神と人間とが
結合されることである。
したがって
人間の痛みが、
神の痛みの象徴となり、
痛みを媒介として
神と人間とが結合することは、
断絶そのものにおいて
結合が生ずることを意味する。
このことは、
神の痛みが怒の対象への愛であり、
断絶せる者を包む愛たることによって保証される。
25ぺージより
痛みにおける神は、御自身の痛みを持って我々人間の痛みを解決し給う神である。
イエス・キリストは、御自身の傷をもって我々人間の傷を癒し給う主である。
①我々の神は解決者であり、癒し主であり給う。
②この神は、神ご自身が痛みを持ち、傷を負い給う主である。
マラナ・タ
紫陽花の芽が、日ごとに育っています。
私の信仰も、かくあれかしと・・・