ごきげんよう!さわこです
今朝、土手の道への階段を上ると、朝日が!
このタイミングに出会うと、しあわせ!と感じます。
すごく単純! (笑)
 
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(安息日学校聖書研究ガイド40ページより)
 
イザヤ書11章には、キリストの初臨と再臨の両方の情景が示されています。
 
ここからも、ユダヤ人の中に、キリストの初臨(誕生)を受け入れない者たちのいた理由を、読み取ることができます。
 
それは、キリストが再臨される時にのみなされることを、初臨に期待したからなのです。
 
読みながら、デボーションへと導かれました。
 
このことからも、聖書を与えられていても、聖書を読んでいても、聖書研究していても、人間的願望が優先してしまうなら、人間的英知で聖書研究するならば、キリスト来臨の確かな目的に覆いがかかってしまうのです。
 
御霊の導きによらないで聖書を読むならば、なんと恐ろしい、虚しい結果となるのでしょうか。
 
キリスト様の内住のないままに、聖書を研究しても、そこには、聖書学はあってもキリスト様の命はあるのでしょうか。
 
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散歩から帰って、洗濯物を干しに屋上に上がったら、
鉄塔のてっぺんに、朝日が刺さっていた!(笑)

 

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このデボーションを、信仰の友と分かち合いました。

 

以下

 

初臨の時にユダヤ人は、イエス様に「地上の王」になってもらえると勘違いしたんだよね。
 
今の時代もトランプ氏に期待するクリスチャンが大勢いるみたいね。
大手のメディアニュースでは、バイデン氏こそ、正義って聞こえてくるけれども、Youtubeや合衆国在住者から聞こえて来るのは、マスコミ情報とはまた違っているよね。
 
熱心なクリスチャンは、トランプ氏が最後の最後に悪者をことごとく投獄し断罪するという期待で、救世主みたいに思っているみたいだし。
そして、聖霊理解は、具体的なイスラエル復興(神殿)だったり、再臨前の千年王国が希望であったりするの。
その理解も、聖書の聖句に忠実だと言いきっている。
 
米国は、信教の自由を求めてヨーロッパ大陸から移住してきた熱心なクリスチャンたちによって建国された国だから、勿論、聖霊に頼っているのよ。
 
聖霊に頼りながら、異なる理解が起きている。
 
それを神様は、ジャッジしないで、じっと見ていらっしゃる。
訓練なさっているのかしらって思うのよ。
ベレヤの人のように、聖書を調べよってね。
 
真理に、混ぜ物をするのがサタンの常套手段。
 
 
聖書を正しく理解することの難しさ!!!!!
 
再臨の目的、その状況や関連聖句を素直に読めば、再臨の前に千年期があるわけないと、私たちは理解するんだけど・・・・
 
カトリックの神学などから派生した「聖書学」や、、あるいは宗教改革によって「聖書のみ」と掲げて改革の途中にある「プロテスタント諸派の神学」の中で、聖書の真理を求めて、うごめいているキリスト教会とクリスチャンたち。また、原点に帰ろうと「ヘブライ語聖書」の研究に熱心な人たち。
 
そんな中で、とっても残念だけれどもSDAを、「異端」だって、言い切る人もいるのよね。
 
でも、最後の最後、四方から残りの民が集められる時には、その「異端説」もなくなってしまっていると思うわ。
だから、異端と言われたって、腹を立てたりして無駄なエネルギーを使わないようにしよう。
 
確かに牧師の言葉や神学者の論説など、とっても参考になるけど、鵜呑みにするのではなく、自分で調べていく事って大事よね。
ほら使徒言行録17章10、11節のベレヤの人のように、ね。
「ここの、ユダヤ人たちは、テサロニケのユダヤ人よりも素直で、非常に熱心に御言葉をうけいれ、そのとおりかどうか、毎日、聖書を調べていた」
勿論、聖霊様の導きをひたすら願い求めつつ。
 
キーワードは素直かな?
イエス様の「おさなごのように」の幼子の中に「素直」もあるのかな?
いやいや、頑固で自己主張が強くてわがままな子もいる。(笑)
 
素直って、神様からの悔い改めの心を頂き続けなくては、自分のものにならないのだ!
 
片時も、イエス様から離れてはならない。
命が供給されなくなるのだから。
生ける屍になってしまう。
バプテスマを受けていても、古い自分が死なないままに葬られてしまう。
それでは「新生」のしようがないではないか。
 
タイトルを

「ユダヤ人はなぜイエスを受け入れないのか」から、「キリスト教はなぜ、聖書を素直に受け入れないのか」に変えた方がよくなってしまいました。

 

マラナ・タ

昨日の夕日も美しかったこと。

 

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ああ、安息日学校聖書研究ガイドを、読んでこうして信仰を語り合い分かち合える友を与えてくださる神様ってすばらしい。

こういう時に「神様に愛されている!」 と実感します。

目の前に、深刻な問題が積み上げられていても。