ごきげんよう!さわこです
霊的な人、肉的な人 — 違いはどこにあるのか?(1)
(60日の祈り 第15日目より引用)
「しかし、わたしたちはキリストの思いを抱いています。」(コリントの信徒への手紙1・2章16節)
霊的クリスチャンか、肉的クリスチャンかを定義する前に、私たちは「罪人」と「罪のない人」について語っているのではない、ということを覚える必要があります。
すべての人は、霊的であれ肉的であれ、同じように救い主を必要としている罪人です。
私たちの義は、ただ主から来るものです。
あなたが一方のグループに属するか、あるいは別のグループに属するかの基準は、聖霊と私たちの個人的な関係によるものです。
神は、私たちが天とつながりつづける限り、聖霊との関係が断たれることがないように制定されました。
(マタイによる福音書12章32節)
「人の子に言い逆らう者は赦される。しかし聖霊に言い逆らう者は、この世でも後の世でも赦されることがない」
エレン・G・ホワイトは、次のように説明しています。
「聖霊の働きをこばむ者は、悔い改めと信仰のとどかないところにわが身をおいているのである。神が心に働かれるのは、みたまによってである。」(『各時代の希望』 中巻 38ページ)
次のことを正しく理解することは価値のあることです。
霊的なクリスチャンか、肉的なクリスチャンかを吟味する対象人物は、自分ただ一人であるということです。
神は、人の心を造り変えることがおできになるので、私たちが周りの教会員にレッテルを貼るのは間違いです。
もし、主があなたの心の中に啓示された「あなた自身の本当の姿」を見てすっかり失望したなら、そのときこそ、主があなたを造り変えてくださる時なのだということを覚えてください!
マラナ・タ
失望する時は、神様がメガホンで私に叫んでいる時です。
神様の叫びを、「あなたを失いたくない!」という声を聴かなくてはならない。