ごきげんよう!さわこです
信仰の友たちよ
今朝の私のデボーションを、分かち合ってください。
雲が湧く今日の北山。
イエス様のご生涯は大変でございました。
罪の世にあって、イエス様は魂の戦いと苦しみに耐えられなくてはなりませんでした。
ですから、始終、父である神様と交わられました。全的に父なる神により頼られました。
神と交わることによって、ご自分に重くのしかかってくる苦しみの重荷、悲しみの重荷を下ろすことがおできになりました。
キリストを通して、人類の叫びは、憐れみ深い天父に達したのでございます。
イエス様の経験が私どもの経験となるのです。
だれでも皆、神の御心を知るために、個人的経験をする必要があるのです。
(今日の光2020.9.10より)
何故、私が? 何故、私ばかりが?
と訴えずにはいられなくなるほどの試練が続く時に、他の声がみな沈黙した静けさのうちに神の御前に待つ時に、魂の静寂は、神の小さき御声が届くのです。
詩篇46:10
「静まって、わたしこそ神であることを知れ」(口語訳)
「力を捨てよ、知れ、わたしこそ神」(新共同訳)
主よ、何故私が? 私ばかりが?
と、この悲しいつぶやきを携えて、十字架の主に身を投げ出すことを主は待っておられます。
信仰深いある人は、何故、私が? という思いを不信仰だ、高慢だ、などと譴責なさいます。
しかし、今はこの言葉しか口に表せないほどの
のねじれ絡んだ苦悩の最中にあることを
主イエスはご存知であられて、
この裏返しのしわくちゃだらけの祈りを
受け止め、皺をのばし、破れを繕い、
「わたしのもとに留まりなさい」
とやさしく言ってくださいます。
「わたしのいのちの水を飲み、
わたしのいのちのパンを食べて元気になりなさい」
と、力づけてくださいます。
マラナ・タ
主イエスよ、今朝のデボーションの時を導き、
私の魂を支配して下さりありがとうございました。