ごきげんよう!さわこです
「つまずきを与えるこの世はわざわいです。つまずきが起こるのは避けられませんが、つまずきをもたらす者はわざわいです」 マタイ18:7
つまずきとは、主に仕えると口では言いながら、主の品性について、誤った印象を与えることによって、1人の魂をキリストから離れさせ、そして多くの人々が欺かれて、間違った道へ導かれてしまうことです。(各時代の希望中217ページ)
「まことに、もう一度あなたがたに、言います。あなたがたのうちの二人が、どんなことでも、地上で心を一つにして祈るなら、天におられるわたしの父はそれをかなえてくださいます」マタイ28:19
ここをなんと自分勝手な俗的に世的に捉えた読み方をして、安心して喜んでいることだろうか。
人間の罪の性質は、キリストの十字架と共に死なない限り、無くなりはしない。
イエス様は、自分の十字架を負ってついて来なさい、と仰せになられた意味が、ここからも読みとれます。
古い自分、罪の性質を十字架につけないままで、聖書を読むなら、私たち人間以上に聖書に詳しいサタンの手のひらで転がされて誤読しご都合主義的に理解してしまうだろうか。
「二人か三人がわたしの名において集まっているところには、わたしもその中にいるのです」マタイ28:20
自分の祈りが自分たちの願い通りに聞かれることに執着する傾向の強い私たちです。
しかし、大切なことは、イエス様を我が救い主と信じる者たちが集まっているならば、そこにイエス様が共にいらっしゃるということ。
さらに私たちの思うようにではなくても、天の父のかなえてくださる方法を信じ受けることが出来るように、イエス様を天の父はお降しになられたのです。
マラナ・タ
一年前の記録なのに、とても新鮮に響きます。