ごきげんよう!さわこです
梅雨明て、朝早くから、蝉の声。
安息日学校聖書研究ガイド2020年3期 副読本より43ページ
聖霊がある門を閉じ、ある門を開ける時があります。
神は門戸を開けてくださる神です。
私たちは、ともすれば、こういう勘違いをすることはないでしょうか。
伝道のために前進するならば、神様はいつでも門を開いてくださる。
門が開かないのは「叩かないからだ」
叩いても開かないのは、「開くまで叩かないからだ
「熱心な祈りをしていないからだ」
「諦めないで、忍耐するように、神様が試されておられるのだから、叩き破るんだ」
パウロは、第二次宣教旅行において、
「彼らはアジア州で御言葉を語ることを聖霊から信じられたので、フリギア・ガラテア地方を通って行った」(使徒16:6)
「ミシア地方の近くまで行き、ビティニア州に入ろうとしたが、イエスの霊がそれを許さなかった」(7節)
とあります。
パウロの唯一の動機は、ただ、キリストにお仕えし、キリストの福音を宣べ伝えることでした。
神様はパウロの動機を、拒否することなどありえません。
ところが、どっちを向いても門戸が閉じられているように思えました。
これに類似することが私たちの人生でもあるのではないでしょうか。
自分たちが祈って出した結果は神様の御思いと一致するとの思い込み。
それを、熱心なのだと、決めてかかってはいないでしょうか。
副読本には、以下のように書かれています。
「この時点で、
大陸全体の門戸が福音に対して開かれている中で、
神はパウロに対して
アジアのある特別な地域に向かう門戸をとざされました。」
何度も読み返しましたが、この翻訳文章は、ワタシの頭では難しい・・・
「大陸全体の門戸が開かれるために、アジアのある門戸を、その時には閉ざされたのでした」
と短縮してみました。
「福音をダイナミックに伝える方法として、神様はそういう戦略をお用いになられた」
と理解できました。
「祈って祈って、計画を立てて、それでもだめなら、閉ざされたその時を神様への信頼を強めるチャンスと致します。我が信仰が養われる機会といたします。神様は私の信仰が無くならないように、ペトロのために祈られたように、私のために祈ってください。」
との祈りへと導かれました。
聖霊の役割の一つは、福音に向けて人々の心を開いて行くことです。
聖霊は、罪、義、さばきについて、世の人々の目を開かせます。(ヨハネ16:8-11参照)
人が福音に向けて心を開く、その方法は神様の方法であり、神様の時があります。
人間の業ではない。人間が誇ってはならないのです。
その人が、福音を受け入れないのは、無知であり、頑なさであります。
それが神様によって砕かれたとき、立ち帰ることができる。
砕かれることを受け入れることが悔い改め。
神様のなされることが、理解できないこともたくさんあります。
でも、それは、神様の方法に従う、神様の方法を受け入れる、信仰によって納得させてもらう、自己に死ぬための訓練としての恵みの一環とも言えるのかもしれません。
各時代にわたって働いておられる聖霊は、キリストのために証する力をあなたに与えたいと求めておられるのです。
聖霊の約束は、今日、私たちのものです。聖霊の力によって、生活を改変する神の言葉にはなおも力があります。
霊感を受けて書かれた聖書の記者を導かれた聖霊は、なおも御言葉を通して働きかけ、御言葉を分かち合う私たちの思いを変え、生活を変えてくださるのです。
新約聖書の証しの力は、生活を変える御言葉を通して働く聖霊の力なのです。
マラナ・タ
聖霊の力が、私たちの生活の中に流れますように。
私たちの内にある、聖霊の流れを詰まらせてしまう罪の精神を捨て去ることを日々、決心できますように。