ごきげんよう!さわこです。
ちいさい、ちいさい、バラが咲いた。
個人的リバイバルとは、
イエス様と個人的に深く繋がる信徒たちの
信仰復興と表現できるのかもしれない。
御霊に導かれて、本質的な祈りを
御霊に祈らせてもらって祈る信徒が、
教会中に飛び火していくことではないかしら。
その時、個人的リバイバルの起きた信徒は御霊に押し出されて、
神様の望まれることを、神様のタイミングで、
知らず知らずのうちに、自分の力を遥かに超えた力によって、
為させていただくのかもしれない。
バプテスマ数が一気に増える前に
起きる序章が、個人的リバイバルと呼ばれるのではないかしら。
聖霊様のうながしにこたえなくては、
同じ聖書を読んでも、霊の目は開かれない。
同じメッセージを聞いても、
聞き流すだけになってしまって、
霊の耳が開かれて、聴くことはできない。
どうしたら、見えるのか、
どうしたら聴けるのか。
幼子のようにと、聖書は書いています。
それは、天から与えられる謙遜さを、
受け入れるとき。
神様は、毎日、いつもいつも、ご自分が創造された人間たちが、
ご自分の声を聴くことを望んでおられる。
マラナ・タ
聖書の中に、ご自身の言葉を。
創造物の中に、ご自身の姿を、影を。
顕してくださっている。