ごきげんよう!さわこです。

 

 

「もともとわたしたちは、神を信じていなかったし、求めてもいなかった。

神の方でわたしたちに目をつけ、導いて、信じざるを得なくされたのだった。」
 

と、この本の表紙の裏に書かれていました。

 

「私たちはもともと神を信じていなかった」?

そんな、バカな。

勿論、私はキリスト教の神を信じてはいなかったけれど、創造の神を知っていたし、信じていた。

 

この本のページを開く前に、私は私が無意識のうちに信じていたお方が「聖書の神」を出会ったことを知るまでのことに思いを向けました。


 

私は、子ども時代から漠然と神を信じてはいましたが、クリスチャンホームで育った訳でもないし、非常に典型的な神仏習合の日本人家庭。礼節、慎みを暮らしの中で習慣的に教えられ、季節の年中行事を節目節目に忘れない。

そういう暮らしは、自然の中におわす神を感じても、宗教儀式の中で、創造主は分かっても、贖い主・救い主なる神の重要な面は、分かりようがなかった。しかし、本質的な神を無意識下で求めていたのは、確かであって、ある時「神の方で私に目をつけ、導いて、信じざるを得なくされた体験をした。

それは、預言の声聖書通信講座を学ぶという出来事。キリスト教嫌いの私が、何故か学ぶようになってしまった。知識・教養として学ぶに越したことはない、が単純動機。通信講座が終わる頃、一つの御言葉により、イエス様に包まれてしまった。生ける神キリストとの出会い。その瞬間、キリスト教ヘの偏見が消えて、聖書の神を「我が主よ、我が神」、と告白してしまった。一度も教会に行ったこともない私が。

 

 

この本の「はじめに」から

 

「本書は、第一に、静思の時を通して神を礼拝し、神と交わるように神御自身がわたしたちを召しておられ、その召しにこたえないと、霊的成長に重大な支障が生じることを示そうとしている。」

 

この本の目的も 「はじめに」 書かれています。

 

「願わくは神が、恵みをもって、本書を取り用い、読者に神との親しい交わりを求めさせ、くる日もくる日も、一定時間を神のために割いて、主と静かにお目にかかる決意をした方々に、実際的に力を添え、良識に満ちた知恵をお与えくださるように。」

 

 

この本は、一昨日の安息日礼拝で、信仰の親友が貸してくださった。

「サワコさんのしていることばかりだから、きっと知っていることばかりだと思うけれど」

との前置きで。

それでも、私が喜ぶことも、新しく発見することもあろうことを、予想して貸してくださった。

頁をめくるごとに、黄色の蛍光ペンでのライン。

 

彼女の予想は当たっていて、本論に入る前から、感動の序章。

 

マラナ・タ

これからも、多分紹介文を書かずにはいられないのかも