ごきげんよう!さわこです

 

白雪芥子が咲きました。

わたしの大好きな花の一つ。

 

 

今日の聖書通読は使行伝5章

5章は初代教会の時代、アナニヤトサッピラ夫婦のした偽り事に神様がお怒りになって、たちまちのうちに死なされてしまった事件がありました。

 

5:9
ペテロは言った「あなたがた二人が心を合わせて主の御霊を試みるとは何事であるか」
5:2--4
「・・・どうして、こんなことをする気になったのか。あなたは人を欺いたにではなくて神を欺いたのだ」

 

スタディバイブル脚注新約274 ページ
5:1--11は、「人々に神の働きに対してなされる誓いや誓約の神聖さを印象づける必要がある」と書かれています。
との解説がありました。

 

 

さてそこから、思いを巡らせました。

 

御霊を試みること、神を欺くこと。
罪の特質であるその思いは、どこから来るのでしょうか。

どうしてこんなことをする気になったのでしょうか。


いわゆる「魔がさした」と言われることなのでしょうけれど、

悪魔は、私たちの思いに足掛かりとする機会を狙っています。

 

人の印象を良くしたい。ほめられたい。高く評価されたい。

つまり、不健全な自己愛という貪りの精神。

 

古い自我がイエス様を信じてクリスチャンになってからも、時々、顔を出す。
そういう事が皆無だと言い切れる人はいるでしょうか?

 

自己吟味して行くと、自己への絶望感に捕らわれてしまいます。
自己の無力さに直面します。

 

「その時を、日々新たに生き返らせて頂くチャンスと捉えて、神様の御前に、そんな自分を包み隠すことなく投げ出せる小さき者となれますように。」

と祈らないではいられません。

 

5:41

使徒たちは、御名のために恥を加えられるに足る者とされたことを喜びながら・・・

 

祈りました。
「私が恥を加えられる時に、その恥が御名のためとなりますように。
また、私に加えられた恥が、主の御栄えを汚すものとなることのないように、お導き下さい。」

 

 

マラナ・タ

今朝の通読箇所から、祈りを二つ頂きました。