ごきげんよう!さわこです
庭の花ももが満開です。
信徒のための月刊誌 アドベンチストライフ
2020年3月号「苦難を誇りとする」 5ページから
・信仰によって義とされることによって、神との間に平和を得る。
・謙虚になってキリストを見上げ、自らの罪を認める。
そして、その罪を告白して心から赦しを請う。
その時に初めて神との間に平和が戻って来る。
・終わりの時代を生きている私たちは、今、苦難を誇りとすることができるよう備えなくてはいけない。
(苦難、とは圧迫とも訳される)
・キリストにすべてをゆだねるとき、苦難を誇りとすることができる。
・キリストは信仰によって、御自分を受け入れる者のうちに住みになる。
・試みが魂に訪れようとも、主の臨在は私たちと共にある。
・誘惑の火が燃え、迫害と試練が来ようとも、燃え尽きるのは不純物だけである。
浄化され金はいっそう明るく輝く。
椿とはなもものコラボ
信仰の友とのデボーションとなりました。(以下の青字、友の言葉)
ライフの「苦難を誇りとする」の記事、いいですね💖
おかげでローマ5:3,4をディボーションしました。
苦難をキリストと共に忍耐することによって
心が練られキリストに近づき、それによってキリストの御心が見えてくる。
それはもう「希望」でしかないのかもしれない。
ローマ5章1-5 口語訳
わたしたちは、信仰によって義とされたのだから、
私たちの主イエス・キリストにより、神に対して平和を得ている。
わたしたちは、さらに彼により、いま立っているこの恵みに
信仰によって導きいれられ、
そして、神の栄光にあずかる希望を持って喜んでいる。
5:3、4
それだけでなく、艱難をも喜んでいる。
なぜなら、艱難は忍耐を生み出し、忍耐は練達を生み出し、
練達は希望を生み出すことを知っているからである。
そして、希望は失望に終わることはない。
何故なら、私たちに賜っている聖霊によって、
神の愛が注がれているからである。
マラナ・タ
友に触発されてローマ書5:1-5を味わいました。
信仰によって・・・イエスの十字架の贖いを我がためと信じたこと、それが信仰。
義とされた・・・神様との破綻していた関係が回復して罪人から義人とみなされる者となった。
神との関係が平和になった。
そうなると恐いものはなくなる。
あなたは(わたしは)今、艱難の渦中にいるか?苦難の真っただ中にいるか?
艱難は忍耐を生み出し、忍耐は練達を生み出し、練達は希望を生み出す
この御言葉の約束が、苦難の中にある私たちの希望へと神の恵みによって変えられて行く。
それが、神の約束。