ごきげんよう!さわこです。
今日は、朝から雨。
午前7時前の北山
スタディバイブルには、ラオデキヤ教会についてはかなりたくさん書かれています。
黙示録3章は今日の教会員の状態に適用すべきであるとあります。
エレンGホワイトは「すべての教会が黙示録3章全体をよみ、それを適応するようにと願う」と書いています。
長い長い注釈から、箇条書きで①~㉖にまとめてみました。
先に結論を。
この勧告は励ましと希望に満ちています。
①ラオデキア教会のメッセージは世の中の人々と何の相違も見られないほど同じようになった自称クリスチャンに宛てられている。
②神が御言葉の中で与えておられる慰め、信仰、希望をかたく守るように。決して失望してはならない。
③天から受けるすべての光を固く守り、それに従って生きよ。
④私たちの生涯は、絶えざる悔い改めとへりくだりの生涯でなければならない。
⑤勝利し続けるためには、絶えず悔い改める必要がある。
⑥真にへりくだる時に、私たちは勝利する。
今朝の東の空
数日前の東の空
⑦魂が神に対して従順に信頼し、奉仕し続けるなら、心は神聖な事柄に敏感になり、神の光が心のうちに輝いて、明らかに理解できるようになる。
⑧我々は、信仰が愛によって働き、魂を清めることができるようにしてくれる尊い真理を知るためにあらゆる努力をしなかったことを悔い改めるべきである。
美味しい文旦がたわわになっています。
⑨ラオデキアの教会への使命は怠け者のクリスチャンに適応されるために書かれた。
⑩多くのクリスチャンが、サタンが正しいと思わせている偽りの光の中で物事を見ている。
⑪心がイエスに向かって開かれ、イエスが魂の宮を占められ、心に神の品性が染み込まなければ、人間の行動は、天の量りで量られる時、「不足」と宣言される。
⑫.永遠の結果をもたらす重要な真理の保管者として、神は一つの民を選ばれたのであるが、そのために与えられた大きな光と多くの機会を感謝して適用しているか?
⑬神の愛に対する熱情が欠けていないか?
神の民を世の光とするのは、神に対する熱情である。
⑭神の律法を守ると告白しながら、実行しているか? 真理をはっきり証しているか?
⑮サタンは、生ぬるさ、狂信を信徒に与えて、信徒の働きを妨害しようとしている。
(寛容、柔和、調和=生ぬるい。神への熱心=狂信。サタンはこのように騙している。実に巧妙な破壊的な方法)
⑯サタンは霊的自己欺瞞状態に、信徒を陥れようとしている。
(私は清められている。私は富んでいる。私は豊かになった。私は何の不自由もない。私は義の衣を着ている。私は建造物て柔和である。このように思わせている。つまり、自己愛、自己高揚、自己欺瞞、自己義認)
⑰信仰を告白しているが、実際にはキリストに従っていない多くのクリスチャンがいる。
彼らは、厳密な意味での自己否定と自己犠牲の十字架を負っていない。
⑱霊的に向上したとうぬぼれて誇っているが、真に回心出来ていない。
この種の人々は非常に多いが、まだ悔い改めの機会が残されていることを感謝しよう。
⑲霊的に未熟な状態の者たちは、罪の真の性質を見分けない。
彼らは誤った行為によってキリストの品性を偽って伝えている。
未熟な精神を持って行動する。彼らはみじめな者、目の見えない者、役に立たない者である。
彼らは神の光の中ではなく、自分の光の中に立っている。
⑳熱意のないクリスチャンは不信心者より悪い。
何故なら、彼らの虚言や曖昧な立場は多くの者を惑わすからである。
㉑不信心者は本性を表す。生ぬるいクリスチャンは両方の仲間を欺く。
彼は善良な俗人でもなく、善良なクリスチャンでもない。
サタンは、他の人ではできない働きをさせるために、その人を使う。
㉑神に仕えていると公言しているが、神に逆らった証をしている人々がいる。
彼らにはラオデキア教会の使命が与えられている。
キリストは彼らに言われる。
「私はあなたのわざを知っている。あなたは冷たくもなく、熱くもない」。
生ぬるい人々について、キリストは
「私は彼らを口から吐き出そう。彼らは私にとって不愉快である」と言われている。
㉒神の言葉は実行しない人にはとっては、死んだ文字に過ぎない。
このことについてキリストは「あなたは冷たくもなく、熱くもなく、生ぬるいのであなたをわたしの口から吐き出そう」と言われる。
彼らは御言葉を聞くが、それを自分自身にではなく、隣人に適用する。
真理の知識を持っていながら、それを十分に理解し、キリストの愛と心を生活に取り入れていない人々が多い。
それ故に、信仰を持っていない人とほとんど変わらず、回心していない人たちと非常によく似た精神構造にしてしまうのである。
㉓キリストの御言葉を我々自身の個人的な問題に適用しよう。
我々は貧しく、盲目で、あわれむべき、みじめなものであろうか。
そうであればキリストが提供しておられる金や白い衣を求めよう。
勝利する働きは殉教者の時代に限られていない。
世俗愛、自己保全、高慢にふけること、貪欲、偽りの教え、不道徳な歩みなどへ導く巧妙な誘惑に関する戦いが、今日における我々の戦いなのである。
㉔キリストに譴責されているラオデキアの人々の状態は絶望的ではない。
嘆かわしい状態にあるが、消えかかっていたあかりの器に油を補充する時間的余裕がなかった愚かなおとめたちほど、絶望的ではない。
花婿が来た時、用意していた者たちは、婚礼の式場へ行った。しかし、愚かなおとめたちは、遅すぎたので、入場できなかったのである。
この勧告は、生ぬるい人々を絶望的状態として描写してはいない。
ラオデキアの使命は励ましの言葉に満ちている。
㉕信仰の衰えた教会も、まだ信仰と愛という金を買うことができるし、裸の恥をさらさないために、キリストの義の白い衣を持つことができる。ラオデキアの人々に与えられている譴責に注意を払うなら、我々の教会には希望がある。
㉖神の使者がもたらすすべての警告、譴責、懇願は、心の外で叩かれている音である。
それは、入れてくれるように求めておられるイエスの声である。
マラナ・タ
耐えざる悔い改めとへりくだりの生涯を、聖霊様に導かれて、ご再臨の日を迎えられますように。