ごきげんよう!さわこです。
ハレスビーの「みことばの糧」より
午後にもデボーションできました。
うれしいです。
すべての人は「良い真珠」を求めます。
私たちすべて人生から最良のものを得ようと努力します。
天国からは永遠の朽ちない宝が、
私たちが求めさえすれば、
降り注ごうと待ち構えていますが、
私たちの方は、相変わらず、地上の土を掘り返して宝探しをしています。
私たちの上にある宝を見る目は濁っており、
私たちの下にあるものを得ようと目をこらしています。
私たちが気づいて、目をキリストに向けさえすれば、
神はすぐ応答してくださるのです。
魂の目(心の目)が濁っていると、
善悪の区別、真偽の区別、
地上の宝と天の宝の区別がつかなくなります。
O ・ハレスビー「みことばの糧」9月28日より
私たちは、地上の宝が、
家族や友を潤し幸せ気分にしてくれますと、
それは天からの宝、ごほうびのように思います。
試練や艱難辛苦が続くと、
天からのお仕置きのようにさえ思い、
気づかぬうちに犯した罪悪の結果であるかのように思いがちです。
私たちは地上の人生が、人徳の結果、善行の結果、善き選択の結果の
神様からの報いであるかのようにも思いがちです。
ところが、キリスト様は、生まれながらの盲人を御覧になって
「本人が罪を犯したのでもなく、また、その両親が犯したのでもない。
ただ神のみわざが彼の上に現れるためである」(ヨハネ9:1-3)
と仰いました。
弟子たちの「親の罪のせいか本人の罪のせいか」という質問に対しての答えでした。
聖書の神を伝えるために選ばれた聖書の民であるユダヤ人たちの一般常識であったのでしょう。
私たちが、地上の宝=天の宝 と思い込んでいるうちは、
霊の目(魂の目、心の目)が濁っているのかもしれません。
マラナ・タ
「霊の目を開かせてください。魂の目を清めてください。」
との祈りを、日々繰り返し、いつもイエス様に焦点を合わせて生きる。
すると、いつしか、天の識別力を頂けていることに気づくのではないでしょうか。
いいえ、本人は気づかないままかもしれませんが、
ただ、イエス様が共に生きておられるご臨在をいつも体験できるのは間違いない。