ごきげんよう! さわこです 

 

期せずして、昨日投稿した「キリスト信仰のおさらい」の続編になってしまいました。
昨夜から「毒麦」のテーマでデボーションが続いています。
 
 
昨夜、マタイ13:24--30を読んでいました。
しもべが、だんな様、畑には良い種を蒔いたのに、どこから毒麦が入ったのでしょうか、
と尋ねますと、
28節、主人は、『敵の仕業だ』と言っています。
 
今朝、安息日学校ガイドを学んでいましたら、
安息日学校聖書研究ガイドの助け85ページに
「毒麦のあるのは、『敵の仕業だ』」 が、引用されていました。
以下・・・紹介します。
 
この世において、苦難があるのを神はどうして許しておられるのか、
という問いかけに対する最初の忠実な応答は、
世界はそのようなものとして創造されたのではなく、『敵の仕業だ』ということです。
 
「人間に苦難が与えられていることの責めは、神の御座にあるのではありません。
むしろ、それはサタンとサタンにそそのかされた天使の反逆と活動、
堕落した人間性からもたらされているのです」
 
この世の悪、不正、悲しみ、痛みを引き起こし、まき散らす働きをし、
人間関係と神の優れた被造物に亀裂をもたらしている邪悪な人間の性質というものがあるのです。
 
さまざまな聖書注解者が、
福音書記事の悪霊と対峙するイエスを、悪の力との戦いの具体例として参照しています。
 
「新約聖書における悪しき霊の実在からわかることは、
悪は超人的な範囲にあるので、
人間は、歴史ドラマにおいて、
他から支配を受けない存在ではなく、
外部因子の影響下に置かれているということになります。」
 
これは、新約聖書を読む際のしばしば必要とされる識見であります。
 
明らかな例として、エペソ6:12があります。
「わたしたちの戦いは、血肉に対する者ではなく、
もろもろの支配と、権威と闇の世の主権者、
また、天上にいる悪の霊に対する戦いである」(口語訳)
 
黙示録12章(神の民と竜)
黙示録13章(竜、海獣、地上の獣、悪の三者同盟)
ここには、宇宙の世界観が表わされています。
政治、経済、社会構造は、堕落して崩壊すると、
合法的な仮面をかぶって、悪の支配下に入ってしまうのです。
 
  今朝の空には、羊雲がたくさん。
空には秋が来ていますが、
気温はどんどんあがって36度を越しました。
 
 
この世の支配者はサタンなのですから。
しかし、サタンの王としての支配は永遠ではありません。
神とサタンの戦いは、神の勝利で終わるのです。
サタンの敗北と神の勝利は聖書に明確です。
 
神が戦ってくださるのであれば、私たちは傍観者として、第三者として観戦していてよいのでしょうか。
どっちにもつかないこと、それを平和主義、ゆだねる信仰と言えるのでしょうか。
神の国の原則には、神の側かサタンの側につくかであって、中立の選択はないのです。
神の側に立たないなら、自動的にサタンの側に立つことになるのです。
モーセの後継者であるヌンの子ヨシュアの言葉を思い出しました。
 
ヨシュア記 24章15節16節 
「あなたたち、主を畏れ、真心を込め真実を持って・・・主に仕えなさい。
もし主に仕えたくないというならば、
川の向こう側にいたあなたたちの先祖が仕えていた神々でも、
あるいは今、あなたがたが住んでいる土地のアモリ人の神々でも、
仕えたいと思うものを、今日、自分で選びなさい。
ただし、私と私の家は主に仕えます。」
 
この言葉は、ヨシュアが、
イスラエルの民をそれぞれの嗣業の地に送り出すときに言ったものです。
その後ヨシュアは110歳の生涯を終えました。
 
神に仕えるかどうかの選びは各個人に委ねられていて、
だれも強制をすることはできないのです。
 
 
神の側につくとは、イエス・キリストを信じて生き通すことです。
イエスを信じて生きているかどうかは、その行いに自然に現れるのです。
洗礼を受けて教会員名簿に載ったかどうかではありません。
しかもその行いとは、マタイ25章37節―40節に記されている通りなのです。
 
「主よ、いつわたしたちは、飢えておられるのを見て食べ物を差し上げ、
喉が渇いておられるのを見て、飲みものを差し上げたのでしょうか。
いつ、旅をしておられるのを見てお宿を貸し、裸でおられるのを見てお着せしたでしょうか。
いつ、病気をなさったり、牢におられたりするのを見て、お尋ねしたでしょうか」
そこで王は答える。
「はっきり言っておく。わたしの兄弟であるこの最も小さい者の一人にしたのは、
わたしにしてくれたことなのである。」
 
神の御心を行う時、意識していないのです。
 
いついつ、どこどこで、私はかくなる善意を行いましたので、
それは神様が喜んでくださったはずですから、
どうか、かえりみて、天国でイエス様の隣りの席に
座らせていただく権利がございます、、、、ではないのです。
 
 
さて、毒麦の譬えの説明をマタイ13:36-42で、イエス様ご自身がなさっていらっしゃいます。
 
良い種を蒔くのは、人の子(イエス)
畑は世界
良い種は御国の子ら
毒麦は悪い者の子ら
毒麦を蒔い敵は悪魔
刈り入れは世の終わりのこと
刈り入れる者は天使たち
だから、毒麦が集められて火で焼かれるように、世の終わりにもそうなるのだ。
その時、正しい人々は、その父の国で太陽のように輝く。
 
マラナ・タ
贖い主であり、仲介者として父なる神への執り成してであられるイエス様を信じることで、
信じた者たちの品性が日々変えられて、イエス様のご品性と一つにならんことをいつも祈ります。