ごきげんよう!さわこです。
室外機のそばに、こぼれ種から、
今年も小さな朝顔が生えて来て、小さなつぼみが。
エルサレムに近づき、
都が見えたとき、イエスはその都のために泣いて言われた。
「もし、この日に、お前も平和への道をわきまえていたなら・・・
しかし、今は、それがお前には見えない」 ルカ19:41-42
それが、騒がしい祭りであり、
信仰ぬきの宗教的行事であり、
律法の名目の下に隠された貪欲さであり、
間違ったメシア待望でした。
イエスは今日までずっと、
多くの民族のために涙を流してこられました。
このイエスの愛の涙に、
私たちはいつまで無関心でいられるでしょうか。
マラナ・タ
主よ、私たちの目が被われているのは何によってでしょうか。