ごきげんよう!さわこです。
「今、私は、あなたがたのために受ける苦しみを喜びとしています。
私はキリストのからだ、すなわち、教会のために、自分の身をもって、
キリストの苦しみの欠けたところを満たしているのです」 コロサイ1:24
キリストの受けた苦しみに欠けたところが、ある?
そんなことはありえないでしょう。
「キリストの十字架の苦しみは不十分なのでそこを私パウロが補っています。」
と読んでしまったら、ちょっとパウロさん、あなたって高慢ちきですね。
となってしまいます。
そういう意味でパウロは書いたのではないことは勿論わかります。
では、一体どういう意味でパウロは書いたのでしょうか?
考えていくために、ポイントとなりそうなことを、箇条書きにしてみます。
①イエスが三日後に復活され、40日、弟子たちと共に過ごされて昇天された。
その十日後に、イエスが約束されていた聖霊が豊かに降った。
②パウロは、イエス様が人性を取って働いておられた頃には反対者だった。ガチガチのパリサイ派であった。
イエスの十字架と復活、昇天、聖霊降下のあったシャブオット(7週の祭り・五旬節、ペンテコステ)の後も、
クリスチャンたち(この道の者たち)を迫害し続けていた。
③パウロはイエスを信じる人びとを捕えるためにダマスコへの道を急いでいた時、復活されたイエスに出会い、
イエスが旧約聖書で預言されていたメシヤ(キリスト)であることを知った。
④迫害者であったパウロが、熱烈にキリストを信じ伝える者になった。どんどん伝道し教会を建てていった。
⑤教会とは、キリストのからだである。家の教会から始まり、組織化されて行った。
イエスを信じ、イエスがされたように生きる人々の群れが教会となった。
そして、イエスの大宣教命令に従って各地につたえられるようになった。
以上、パウロがイエスを信じて伝道者となるまでをざっと書いてみました。
パウロはイエスを教会の体と呼んでいます。
イエスのこの世での存命中には、教会はできていませんでした。
教会は、イエスの御霊である聖霊に導かれて
12使徒たち(パウロも含む)が核となって出来ていったのです。
それが、使徒言行録〈使徒行伝)に書かれています。
創世記からの聖書の理解が、
次第に形骸化され形式化されてしまった時、
聖書の預言通りに、聖書の著者ご自身が神の御子として
この世界にお生まれになって、大宗教改革をなさり、
その完成のために預言通りに十字架にお架かりになって
人類の罪をおゆるしくださった。
イエスが天にお帰りになってからは、聖霊に導かれて、
弟子たちが聖書の教え(イエスの教え)を世界中に広めていったのです。
そのためには、迫害が伴いました。苦しみが伴いました。
イエスの弟子たちはほとんどが殉教しました。
真理を宣べ伝え、永遠のいのちを得るための働きを、
イエスの遺言を、弟子たちが引き継いだのです。
「すべては完成した」とイエスは十字架上でおっしゃいました。
イエスが残したことは、ご自分を信じてもらうことです。
その役割を、聖霊に導かれた人間たちがするのです。
イエスは、ご自分を信じる者たちにその大仕事を託されたのです。
それをパウロは
「キリストの苦しみの欠けたところを満たしているのです」
と書いたのです。
次に、バイブルナビの解説を書いておきます。
このパウロの言葉は、
苦しみはキリストの福音を世にもたらすとき避けられないことを意味する。
私たちが苦しむ時、キリストは私たちと共にそれを感じておられる。
しかし、この苦しみは、生き方を変え人々を神の御国に導くので、
喜んで耐えることが可能である。
関連聖句
1ペテロ4:14
「もし、キリストのためにののしらるなら、あなたがたは幸いです。
神の御霊があなたがたの上にとどまってくださるからです。」
1ペテロ4:16
「キリスト者として苦しみを受けるのなら、恥じることはありません。
かえってこのことのゆえに神をあがめなさい。」
1ペテロ4:19
「神のみこころにより苦しみにあっている人たちは、善を行いつつ、
真実な創造者に自分のたましいをゆだねなさい。」
ピリピ1:29
「あなたがたがキリストのために受けた恵みは、
キリストを信じることだけでなく、キリストのために苦しむことでもあるのです。」
マラナ・タ
この罪の世を生きることが苦しくて生きづらくても、
キリスト教を信じたら、苦労も一切合切なくなって、
平安で平和な人生に早変わりする。問題は、速やかに解決する。
そうして主の御名が崇められることになる。
いつも喜んでいられるように、この世においても成功者となる。
キリスト教は現世ご利益宗教です。と思ったら、大間違いです。