ごきげんよう!さわこです。
安息日に入りました。
7月1日から、新約の聖書通読はコロサイ人への手紙に入りました。
コロサイは全4章ありますから、昨日で終わりなのですが、
気になる所を行きつ戻りつしながら味わっていて、
同時進行で読んでいる旧約聖書列王記5章から12章は置いてきぼりになってしまいました。
今日の箇所であるフィリピ1章、列王記13、14章を読んでようやく通読表のペースに追いつきました。
同じ通読表を使いながら、みなさんそれぞれのペースで読んでおられます。
コロサイの前に読んだローマ人への手紙は、名残惜しくてしばらく後を引きました。
じっくり再読しないではいられず(再々々・・・通読の回数だけでも18回は読んでいますが、
それでも、パウロの論説に足並みを合わせて味わいたくて、8章までブログに投稿を続けました。
まだまだ、続きを書きたいのですが、(全16章です)
コロサイに入ると、今度はコロサイに捕えられてしまいました。
コロサイ1章24節に関しては、どうしても書いておきたいのです。
「今、私は、あなたがたのために受ける苦しみを喜びとしています。
私は、キリストのからだ、すなわち教会のために、自分の身をもって、
キリストの苦しみの欠けたところを満たしているのです。」1:24
今まで、通読だけで18回も読みながら、ここに注目ができていなかった・・・
分解して考えます。
①私・・・パウロ
②あなたがた・・・コロサイの教会員たち
彼らの教会は大きな問題を抱えている。
③あなたがたのために受ける苦しみを喜びとして
・・・パウロはその苦しみに心を寄せて
解決に向ける行為をしたいと願っている。
④パウロがしようとしていることは、・・・
キリストの苦しみの欠けたところを満たすことにもなる。
新改訳バイブルナビ聖書の解説は、コロサイ教会の背景と問題点を以下①―③に書いています。
① コロサイ人への手紙を、困難な問題を抱えた1世紀の教会のための書として読もう。
そして、また、時を超越した真理も読み取ろう。
クリスチャン生活を送るための唯一の源であるキリストについて、新たに確認しよう。
キリストとのつながりをしっかりさせよう。
② パウロはコロサイを訪問したことはなかった。
執筆年代は、おおそらく紀元60年。パウロがローマで獄中にいた時。
③コロサイ教会の問題点。
キリスト教教理を、異教信仰や世俗的な人生観と融合させようとした。
この間違った教えにパウロは立ち向かった。
「苦しみ」とは、コロサイ教会が、異端的思想に影響されていていること。
マラナ・タ
前置きが長くなりすぎました。
「キリストのための苦しみの欠けたところとは?」については、続く