ごきげんよう!さわこです。
(今日の聖書通読サムエル記上1章2章から祈りました)
万軍の主よ。私は主の御前に心を注ぎ出し祈ります。
あなたは、はしための苦しみをご覧になって、私を心に留めてくださいます。
私の心は主にあって喜びます。
まことに、主はすべてを知る神、そのみわざは測りしれません。
主は貧しくし、また富ませ、低くし、また高くなさいます。
弱く貧しいものを起こし引き上げてくださいます。
主よ、私はあなたの救いを喜びます。
何をどう祈ったらよいのか。
クリスチャンになったばかりの頃、困ったことがありませんか。
イエス様のお弟子たちですら「主よ、祈りを教えてください」とイエス様に尋ねました。
そうしてイエス様が教えてくださった祈りが「主の祈り」です。
「主の祈り」が最高の祈りのお手本です。
主の祈りは、どのような順番で祈ったらよいのかがよくわかります。
教会に来るクリスチャンホームの子どもたちは、何の抵抗もなく祈ることができます。
それは、家庭で、両親や祖母の祈り聞いて、祈ってもらって育ってきたからだと思います。
大人になって、クリスチャンとなった人が、きっと、祈りについて困っているのかもしれません。
祈りのための善い本はたくさんでています。
キリスト教書店に行ってごらんなさい。
ネットで、キリスト教祈りの本、と検索してもいくつも出てくるでしょう。
信仰の本を読んでいると、自分の今の状態にぴったりくる祈りにも出会います。
そこで、私は、祈りのノートを作りました。
「○○のときに」とのテーマ別の祈りを書き集めたりもしました。
何冊作ったやらわかりません。
聖書を読んでいると、聖句から自分の祈りを紡ぎ出すことができることに気づきました。
聖句=御言葉=「言」=イエス様
祈りは神様から与えられるものです。
鶴の恩返しの、つうのように、
自分の羽を抜きながら機織りをするようなものではないのです。
不思議ですけれど、日々、聖書に親しみ、信仰書を読んでいると、
神様から祈りを頂くようになって行くのです。
いつのまにか、祈れるようになってくるのです。
マラナ・タ
私は、聖書の言葉から祈りを頂くことができました。
私が何をどう祈ればよいのかを、神様が一番ご存知なのですから。