ごきげんよう!さわこです。
今日は5月11日、
この日めくりを見て、五日間わたしのデボーションは続きました、
私の信じる聖書の神様は、
傷ついた私の心を丁寧に慎重に
取り扱ってくださいます。
私の弱い信仰の灯心がかき消されることなく
今日まで保たれて来たのは、
神様、あなたの恵みです。
わたしの散歩道の葦
この御言葉は、マタイ12:15-21にも出てきます。
神が選んだしもべ(新共同訳聖書には、この小見出しがついています)
イエスはそれを知って、そこを立ち去られた。大勢の群衆が従った。
イエスは皆の病気をいやして、ご自分のことを言いふらさないようにと戒められた。
それは、預言者イザヤを通していわれていたことが実現するためであった。
「見よ、わたしの選んだしもべ
わたしの心に適った愛する者。
このしもべにわたしの霊を授ける。
彼は異邦人に正義を知らせる。
彼は争わず、叫ばず、
その声を聞く者は大通りにはいない
正義を勝利に導くまで、
彼は傷ついた葦を折らず、くすぶる灯心を消さない。
異邦人は彼の名に望みをかける」
ここの聖句にはイエス様がどのようなお方であるかが分かります。
イエス様が正しい道を教えるのは、イスラエルの民(ユダヤ人)だけではないのです。
ユダヤ人たちが異邦人と呼んで軽蔑していた民にとっても希望の星なのです。
イエス様は、争わない、大声を荒げることもなさらない。
正義を勝利に導く=天国への凱旋です。
地上人生をあらゆるサタンの誘惑、惑わしに打ち勝って、
神様の御心にかなう人生を生き抜いて、
それは、キリストを信じ、キリストにゆだねて、キリストの恵みによって、達成できたこと。
人間を創造してくださった神様は、すべての人類の「父」であるのですから、
人間が如何に傷つきやすく、その信仰のともし火も消えそうになってしまうのかも、知っておられます。
イエス様は、イザヤ書で預言されていた神の僕なのです。救世主・メシヤ・キリストなのです。
「彼」とは、旧約聖書を通して「イエス」を表わしています。
イスラエル民族は、神の人類への計画を伝えるために神様に選ばれた民でした。
そのために、アブラハムーイサクーヤコブーユダ・・・ダビデ・・・ボアズ・・・・・・・・イエスが誕生します。
マタイ福音書1章17節
「こうして、全部合わせると、アブラハムからダビデまで14代、
ダビデからバビロンへの移住まで14代、
バビロンに移されてからキリストまでが14代である。」
アブラハムから42代目がイエス・キリストなのです。
私たち日本人は、イスラエル人でもユダヤ人でもなく、
またイエス様の死後に、「この道」→「キリスト教」が成立しました。
日本人は、キリスト教国家となった国の民族でありません。
キリスト教国家の人々からは、偶像礼拝と多神教の野蛮な国だと見なされてきた時代さえありました。
キリスト教を日本に伝えて、野蛮な日本人を文化的民族に改造してあげなくてはいけないかのような
思想が日本を席巻した時代すらありました。
白人種以外は、人間と見なさないキリスト教国家さえありました。
「彼は異邦人に正義を知らせる。
異邦人は彼の名に望みをかける」
このように、イエス様が「人性」をとって、お生まれになる750年前にイザヤ書は書かれているのです。
異邦人と呼ばれている民族の中に「日本人」も含まれていると私は考えています。
(失われたイスラエル十支族の末裔が日本人でもある、という説もありますが・・・それはそれとして)
傷ついた葦を折ることなく、
暗くなってゆく灯心を消すことなく、
裁きを導きだして、確かなものとする。
この御言葉には、
弱い私たちの信仰を、細やかに育ててくださる神様を見ることができます。