ごきげんよう!さわこです。
 
今年は暑さが厳しくて、例年の様にゴーヤが収穫できなかった。
ところが、台所に大きなゴーヤが二本。
「思いもがけないところにゴーヤがなっていたよ。
葉に隠れて見えなかったんだ」
と、夫。
 
夏野菜のゴーヤを11月も終わろうとする日に、食べられるとは!!!!!
昨日は、ゴーヤサラダと、竹輪と玉ねぎも入れてゴーヤのかき揚げにした。
今日の昼食は、ゴーヤチャンプル。
 
「隠れていたもので露わにならないものはないってことね」
ノンクリスチャンの友が言いました。
なかなか言い得ています。
 
ルカによる福音書2章17節の「ともし火の譬」の箇所に
「隠れているもので、あらわにならないものはなく、秘められたもので人に知られず、公にならないものはない」
 
また、ルカによる福音書12章2節に偽善を戒めて、
「覆われているもので現されないものはなく、隠されているもので知られずに済むものはない。」
その前には
「ファリサイ派の人々のパン種に注意しなさい。それは偽善である」 
弟子たちに語られたイエス様のお言葉があります。
 
私たちが、いかに偽善に陥りやすいものであるか、をイエス様はご存知です。
特に、善であろうとしているファリサイ派の人々はそうなのです。
新約聖書を読んでいると、ファリサイ派の人々はイエス様に敵対している場面が多くあります。
ファリサイ人とは、十戒ばかりでなく600いくつもある口伝律法のすべてに忠実であろうとしていた超真面目な人々でした。
 
彼らがイエス様のお叱りの対象であるのを見て、真面目さを嘲笑い、
ゆるくゆるくなんでもありのなんちゃってクリスチャンの方が、
その寛容さをイエス様に喜ばれれるのよ、などと過大解釈しては、いけません(笑)
 
ファリサイ的クリスチャンも、何でもありクリスチャンも、大いに問題ありなのです。
 
コリント人への手紙 第1、4章5節にもあります。
「主は闇の中に隠されている秘密を明るみに出し、人の心の企てをも明らかにされます。」
 
 
昨日の日めくりカレンダー
「神は人間をまっすぐに造られたが、人間は複雑な考え方をしたがる」
コヘレト7章20節です。
 
 
マラナ・タ
神様にまっすぐに造られたにも関わらず、罪が入ってからは、人は複雑になってしまいました。
問題児でない人間はいないのではないでしょうか。