ごきげんよう!さわこです。
今朝のデボーションを、今、ブログに書き写しています。
今朝の私の祈りです。
神は日常生活の中で、
私たちにも分かる方法でご自身を現したいと願っておられることを信じています。
困難のうちに、大きな問題に打ちのめされそうになっている人に、
今、この時、この場所で神のご臨在を感じることができますように助けてください。
四時ごろ、自転車で帰宅途中、見上げた空。
安息日聖書研究ガイドを学びながら・・・
不死は、神に創造された時には与えられていませんでしたが、
サタンの介入により、人は死ぬ運命となりました。
人は死ぬ際に、意識のない眠りの状態に入るのです。
人は死ぬ運命のもとに生まれ、死を免れませんが、
イエス・キリストを信じる全ての者に不死と永遠の命を約束しています。
使徒パウロは、神が人間に不死をお与えになるのは、死の瞬間ではなく、
終わりのラッパが鳴り響く復活の時であると明確に述べています。
人間は、イエスを救い主として受け入れる瞬間に永遠の命を約束されますが、
不死は復活の時にのみ与えられるのです。
魂が死に際して、直ちに天に昇るといった教えは、旧約聖書にも新約聖書にもありません。
それは、異教に根ざしており、古代ギリシャ哲学にさかのぼります。
新約聖書の書簡には、むなしい騙しごとの教えであり、異端の教えに騙されないように忠告しています。
道ばたのたんぽぽのような私たち。
マラナ・タ
私たちのアイデンティティは、神の息子・娘、そしてイエスの共同相続人ということです。