ごきげんよう!さわこです。

教会祈祷会、7月からはEGホワイト「各時代の大争闘」輪読することになりました。

EGホワイト著作集の中で、ホワイト婦人が一番に読んでもらいたいと熱望したのが、「各時代の大争闘」だと言われています。

この本を三回読み通すと、どこか一味違うクリスチャンになるという話もあるとか。

四半世紀のクリスチャンである私。

一回目はあちこち読み。二回目は通読。三回目は部分読み。

今回通読すれば、三回読み通したことになる?

 

さて、「序」からを部分的に紹介します。

1、罪がこの世に入る前には、アダムは創造主と分け隔てのない交わりをしていたが、

アダムが罪をおかしてからは、人類はこの尊い特権から切り離されてしまった。

 

2、しかし、救済の計画によって、地上の住民がなお天とのつながりを保つ道が開かれていた。

神は、聖霊によって人間と交わり、選ばれたしもべたちの啓示によって天来の光を世にお与えになった。

 

3、人類歴史におかえる最初の2500年間は、書かれた啓示というものは無かった。

神から教えられた人々が、その知識を他の人々に伝え、それが父から子へと、次の世代に伝えられて行った。

 

4、神の御言葉を書き記すことは、モーセの時代に始まり、ヨハネに至るまで1600年の間にわたって続けられた。

 

5、聖書の著者は神である。神ご自身がお選びになった人に、聖霊によって夢と幻と象徴をお与えになって真理を啓示し、

1600年の長い間にわたり人間のことばで書き記された。

 

6、神から与えられた真理が人間のことばに表現されている聖書には、神的なものと人間的なものとの結合がみられる。

このような結合は、神の子であると同時に人の子であったキリストの性質の中にもあった。

「言は肉体となり、私たちのうちに宿った」ヨハネ1:14.

 

7、聖書は、時代、身分、職業、知的霊的才能、言葉の表現形式、これらが大いに異なっている聖書記者によって、

聖霊の導きのもとに書かれたので、全体を通して調和がみられる。

 

8、神の言葉は、人間という不完全な土の器に託された。人間の不完全な言葉の表現を通して伝えられた。

 

 

次に「聖霊」について一部の人の誤解に対しての記述を紹介。

1、聖書に霊感を与えたのは聖霊であるが、聖霊は聖書に取って代わるために与えられたのではない。

 

2、「すべての霊を信じることはしないで、それらの霊が神から出たものであるかどうか、ためしなさい。

多くの偽預言者が世に出てきているからである」1ヨハネ4:1

 

3、一部の人々が、自分たちは聖霊の光を受けたから、もはや神のみことばによって導かれる必要はないと公言するような誤りを犯している。こういう人々は、自分の引照に支配され、それを魂に語る神の声とみなしているが、彼らを支配しているのは、神の霊ではない。

このような人たちは、混乱と欺瞞と滅亡に陥るだけである。

 

4、聖霊の働きは、キリスト教会にとって非常に重要であるために、極端な人々や狂信的な人々の誤りを通して、聖霊の働きを軽蔑し、主ご自身がお与えになったこの力の源を神の民に無視させるのが、サタンの策略の一つなのである。

 

 

終わりの時のサタンの働きについて

1、善と悪との大争闘は、時の終わりにいたって、ますます激しさを加える。全ての時代において、サタンの怒りはキリストの教会に向けられて来た。

しかし、神は、自分の民がサタンの勢力に対して強く立つことができるように、恵みと霊を与えてこられた。

 

2、キリストに従う者たちは、主の再臨の警告を世に伝えなければならない。そして備えなければならない。

 

3、サタンは、誤謬を真理に見せかけ、神の律法と人間の律法と取り換え、創造主よりも被造物の方を人々に拝ませるのである。

サタンは、神の品性について、誤まった印象を人に与え、創造主について偽りの観念を人に抱かせ、愛より恐怖と憎しみをもって神を見させようとしている。

 

4、サタンの欺瞞はますます巧妙になり、選民をも惑わそうとするが、御言葉の光と聖霊の解明とによって、我々は悪魔の先略を見破ることができる。

 

 

最後に「各時代の大争闘」の書かれた目的

1、未来の諸事件に関する事実と原則とを明らかにする。

 

2、聖書に書かれたすべての記録を、光と暗黒との間の争闘の一部分として見る時、新しい意義が認められる。

 

3、真理と誤謬との間の大争闘を解明することによって、サタンの策略を明らかにする。

 

4、罪の起源と、その最終的処置に関して光を投げかける。

 

5、悪の大問題に満足の行く解決を与える。

 

6、神の律法が聖であり、不変のものであることを明示する。

 

マラナ・タ

いささか長くなりましたが、「序」を読むことで、大争闘の本を読む備えができます。