ごきげんよう!さわこです。

 

十数分前に投稿した「主が創造されたこの世界にあって小さなつまらないものなどありえましょうか」の続きです。

 

いつからからか、私の中で比較すること競争すること、そういう思想が消えていきました。

勝てる自信のあることしか受けない、負ける可能性があることは引き受けないと明言する人もいます。

大きいこと目立つことにしか関心を持たない人もいます。

 

信仰者の世界であってもその視点から見ることが当たり前の状態の人もいます。

私たちは世の中の思想から完全に乖離して生きているわけではありませんから仕方のないことです。

比較競争にとらわれないで生きている人に対しても、その基準での物差しで測り、思わぬレッテルを貼られてしまうこともあります。

 

無意識の領域に侵蝕してくる敵の思想に影響されないように

「主よ、識別の霊をお送りください。我らを試みに遭わせず悪より救い出したまえ」

と毎日、祈らないではいられません。

 

マラナ・タ

主イエスの水準には遥かに遠い私であることは、この世界に生きている限り現実。

「イエス様、私の心に来てください。私と一緒にいてください。私の心を清めてください」

と祈り続けないかぎり、人間社会のものの見方からは解放されないのです。