ごきげんよう!さわこです。
聖書通読、新約はコリント第二 7章から10章、4日分をため込んでしまいました。
今夜、まとめて読んでいます。
7章1節「愛する者たち、私たちはこのような約束を与えられているのですから、いっさいの霊肉の汚れから自分をきよめ、神を恐れかしこんで聖きを全うしようではありませんか」
この節についてのバイブルナビの解釈を紹介します。
・ きよめには2つの行動がある。罪から顔をそむけることと、神の方を向くことである。
・ 聖きを全うすることは、成熟すること、完成することである。
・ パウロはコリント人たちが、この世において罪のない状態になれると言っているわけではない。
・ これは、信仰において成長していこう、ということである。
・ 神は、神を信じる者たちに、必要なものを備えておられる。
・ 必要なものとは?キリストの様にある力を与えてくださるキリストの御霊である。
7章10節「神の御心に添った悲しみは、悔いのない救いに至る悔い改めを生じさせますが、世の悲しみは死をもたらします」
この節についてのバイブルナビの解釈です。
・ 罪に対する悲しみによって、行動が変わることがある。
・ 多くの人々は、罪自体を悲しまず、罪がもたらす結果や、罪を犯していることがばれることを悲しむ。それは世の悲しみである。
・ ペテロは激しく後悔し悔い改め神のもとに立ち帰り信仰と奉仕の道に復帰した。
・ イスカリオテのユダの悲しみは、悔い改めて神のもとに立ち帰るのではなく自殺した。
8章12節「・・・持たない物によってではなく、持っている程度に応じて、それは受納されるのです」
バイブルナビはパウロの言葉の意味を以下のように解釈している。
・ 持っていないものではなく、持っているものを惜しみなくささげるべきである。
・ 犠牲的にささげることは、責任を放棄することではない。
・ 養う必要のある人々(例えば家族)の基本的な必要が満たされないほどささげることは期待されていない。財政的援助を必要とする人々に過度の負担を負わせてはならない。
10章10節「彼らは言います。『パウロの手紙は重みがあって力強いが、実際に会った場合の彼は弱弱しく、その話しぶりは、なっていない』」
バイブルナビ
・ ギリシャでは、雄弁な演説者が高い評価を得ていた。パウロは彼らと比較して、非常に優れた論客であったが、雄弁さに欠けていたのかもしれない。
・ パウロは神の召しに従って、ローマ帝国にキリスト教を伝えた。
・ モーセもエリヤも話すことが苦手だった。説教する能力は、指導者の必須条件ではない。
マラナ・タ
つづく。